「宇田川源流」【日本万歳!】 掘ると埋蔵金が出てくる日本の「地名」の不思議

「宇田川源流」【日本万歳!】 掘ると埋蔵金が出てくる日本の「地名」の不思議

 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや、日本らしさが発揮できている部分など、または外国から日本が称賛されているような記事を皆様にご紹介し、その中の日本のすばらしさの根源にあるものを探るという連載である。その中において、日本のすばらしさというのは日本人の毎日の習慣や日本人の考え方、日本の国民性、日本の人々の性格ややさしさなど、日本人であるからそのようなことができるのであるということを皆さんにお届けして、その中で、日本人のすばらしさの根源は「日本人すべてが持っている」ということを共有したいと思っている。

毎週月曜日は「マンデー・ブルー」といわれるように、土日の休みの後にこれから一週間働かなければならない。働くことが嫌というよりは「自由な時間から自由ではない時間に変わる」ということになるということに、自分の時間が失われるような錯覚になり、それが、ブルーになってしまうというような状況になるのであるが、まさにそのような内容が、そのまま「マンデー・ブルー」につながってくるのであはないかという気がする。しかし、そのような「ブルー」な状況であっても、その内容が世界に称賛される内容であったり、誇りを持てるような内容であれば、それが自由な中ではなくても、自分のやるべきことが見えてくるのではないか。そのような内容を見てゆくということが重要なのではないかという気がする。その「誇りを持てる」読み物の一つとして、この連載があればよいのではないかという気がするのである。

今週のテーマは「埋蔵金」。

群馬県前橋市の工事現場で地中から埋蔵金が出てきたという。もちろん現在の通貨ではなく、7世紀から13世紀のものであるというのである。日本の場合は「埋蔵金」というものが結構様々なところから出てくる。何かに備えるということを日本人は非常に大きな内容としてみている国民性を昔から持っているしまた、「家」を重視していたということから、当然のように、「何かあって自分が滅びても後世の子孫に残す」ということを行うように考えていた。現在のような「自分さえよければよい」というような考え方ではなかったということになる。その考え方の原点には、「将来はきっと明るい未来が待っている」というような、ある意味で根拠のない楽観的な判断が存在していたということになるのだ。

そのような日本人の考え方から、埋蔵金が非常に大きな内容になるのである。

工場建設きっかけ、地中から埋蔵銭10万枚超 戦乱で急きょ埋めたか

 前橋市総社町の「総社村東03遺跡」の発掘調査で、紀元前の中国初の統一通貨「半両銭」や、7世紀から13世紀にかけて造られた渡来銭など10万枚を超す大量の埋蔵銭が見つかった。

 藁紐(わらひも)で約100枚ごとにまとめた「緡(さし)」の状態だった。藁の袋に入れられており、中世期の戦乱などで急きょ地中に埋められたと見られるという。

 事業者の工場建設を機に発掘調査が行われた。市によると、埋蔵されていた範囲は、縦約60センチ、横1メートルで、約100枚単位の緡が1060見つかった。10緡にまとめた1貫文(約1千枚分)にして納められた痕跡も確認された。稲わらのむしろが残っており、この中に入った状態で埋められたとみている。

 遺跡の所在地は、総社町総社大字大屋敷で、字名から、大きな屋敷があった可能性も考えられるという。

埋蔵銭のうち334枚を調査したところ、中国の前漢時代から、南宋時代までの通貨44種類が確認された。通貨の初鋳造年代は紀元前175年から1265年までとされる。

 最も古いものは、前漢時代、紀元前175年初鋳造の「半両銭」が1枚確認された。直径2・3センチ、中央部分の四角い穴は一辺7ミリ、厚さ1ミリ。表面の左右に文字が描かれ、左は「両」、右が「半」。

 最も新しい銭は南宋時代の1265年初鋳造の通貨。このことから、埋蔵時期は、鎌倉時代(1185~1333年)と考えられるという。ただ、サンプルで調べた枚数が少なく、今後の調査によって埋蔵年代が変わる可能性もある。

 市によると、この遺跡の約1キロの範囲に、総社古墳群や、山王廃寺、上野国分寺などがあり、この遺跡のあるエリアは、古墳時代から律令期にかけて上野国の中心地域だったと見られる。

 総社村東03遺跡の出土品は、2022年度に前橋市内で行われた発掘調査の成果を紹介する「新出土文化財展2023」で展示されている。ほかには、古墳時代後期の円墳から出土した大刀(たち)や、象嵌(ぞうがん)と呼ばれる技法が施された「銀象嵌鍔(ぎんぞうがんつば)」、古代群馬の中心地域であった「上野国府跡推定地」から出土した古代の土器や陶磁器も展示される。

 会場は臨江閣(前橋市大手町3丁目)で、12日まで。無料。問い合わせは、前橋市文化財保護課(027・280・6511)。(角津栄一)

2023年11月3日 11時31分 朝日新聞デジタル

https://news.livedoor.com/article/detail/25286529/

 埋蔵金が残る理由は、もちろんそれが掘り返されていないという事だけではなく、埋蔵金を将来にわたって使うであろうという事、土の中にしまっておけば、将来自分ではな誰かがこの内容を使うに違いないということをしっかりと考えられ、そして希望を持つことができた。埋蔵金というのは、単純に言えば、将来の子供たちが困らないように残すということになるのであるから、その内容は「将来は明るい」と信じているということになる。どこかの国のように将来を考えないとか、自分が滅びたら終わりではなく、子供たちや孫たちはきっと明るい世の中で過ごすことができる、そのための一助にンアニカを残すということが埋蔵金になる。同時に、その場所がほかの人々に荒らされないということから、他の人が占領しても家を荒らさない、もっと言えば墓まで暴くような残虐なことはしないというような文化性もそこに国民性として残ることになるのである。

このように考えれば「埋蔵金」が残るというのは、ある意味で、「未来への希望」と「その時の人々の国民性」の二つによって行われることがわかる。そしてその内容は、ある意味で何らかの手掛かりを残す。もちろん個人的なものであれば、自分の家の中に残すということであるが、それでも、上に木を植えるとか石碑を持つなどの内容になっている。しかし、それだけではなく、大名が家を復興するということになれば、、一つの家が生活できる以上の金が必要になる。それは、かなりの金額になるので、かなり大きな内容になりそしてそのような地名をつけるということになる。要するに「埋蔵金」の手がかりとして日本の「地名」が出てくることになる。小泉純一郎首相などが平成の大合併などといって市町村を合併し、端から地名を変更してしまったが、実際には、その古い地名に、昔の人々の知恵や暗号が隠されていたのである。このように書くと、なかなか陰謀論のような話になるのかもしれないが、その内容をいかに考えてゆくのかということが、なかなか大きな話になってくるのではないか。

ある意味で埋蔵金を現在に使えるというような話ではなく、そのような埋蔵物は歴史の遺物であり、昔の人々との会話の一環である。そのように会話ができるというのも、昔と今の日本の歴史がつながっているからに他ならない。そのことを非常に素晴らしく思えるのは、私だけではないのではないか。

宇田川源流

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