「宇田川源流」【日本万歳!】 奉祝 上皇后陛下の誕生日
「宇田川源流」【日本万歳!】 奉祝 上皇后陛下の誕生日
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。
日本のすばらしさなどを皆さんに紹介し、そしてその日本のすばらしさを共有することによって、日本を好きになろうという規格である。そしてその日本人の一人であるということを自分自身で感じ、そのうえで自分自身に自信を持っていただきたいというような連載である。
今回は、あまり長いこと書くことはない。
20日上皇后さまが89歳の誕生日を迎えられた。古来天皇陛下の誕生日は「天長節」皇后陛下の誕生日は「地久節」といって、一つの節句として祝ったものである。天長節と異なり、皇室祭祀令に基づく宮中祭祀や、休日法の定める国民の祝日ではないが、男女別学が主流だった戦前期の女子校などにおいて、天長節に準じた扱いで祝賀の儀式が行われることがあった。
しかし、大変不敬であるのかどうかは別にして、歴史的にまたは過去の慣例からも、上皇及び上皇后両陛下に関しては、それを祝うということはしていない。もちろん皇族の中ではそれを祝う習慣はあったと思うし、また、平安時代の院政をしていた時代などは、そのようなことをしていたのに違いない。源平合戦のさなかの法皇で権勢の頂点にあった後白河法皇などは、誕生日などではなくても自分の記念日をそれなりに祝っていたと思うし、そもそも記念日などはなくても、毎日様々なことをしていたのに違いない。そもそも陰暦を使用している間は、誕生日という個別な内容はないので、元旦と四方拝でそれらの儀式が行われていたのあろう。
そのように考えると「上皇后誕生日」が特別な節句になっていないことは、なんとなく理解できる。
とはいえ、それで祝わなくてよいというものではない。日本人であるから、その日はやはり祝うべきであろう。
さて今回はそれを報じる記事と宮内庁のホームページの内容を記載して、記事に代えさせていただく。
上皇后さま89歳誕生日 「ご近況」全文公開~外出増え、上皇さまと穏やかな日々
上皇后さまは、20日、89歳の誕生日を迎えられました。
上皇后さまは上皇さまと規則正しい日々を送りつつ、ことし5月からはコロナ禍以降控えられてきた外出の機会を増やされてきました。支援を続けてきた文化財修復の完了をご覧になった京都や奈良への旅や長く思いを寄せてきた分野への訪問などこの1年の過ごし方、上皇さまとの穏やかな日々の暮らし、今のご体調など、宮内庁上皇職が公開した上皇后さまの近況について、全文を紹介します。(表記は宮内庁表記のままです)
【上皇后さまのご近況について(お誕生日に際し) 上皇職】
上皇后さまは、今年、89歳をお迎えになります。
昨年4月、港区高輪の仙洞仮御所から赤坂の仙洞御所にお移りになり、1年半が経過しました。仙洞御所では、庭を訪れるツクツクボウシやエンマコオロギの声に耳を澄まされ、ヤマボウシ、舞妃蓮、ユウスゲ、ヒマワリ、ヒツジグサなど季節の草花を楽しまれながら、陛下と穏やかな日々をお過ごしです。
令和2年1月から始まった新型コロナウィルスは、今年5月8日から感染症法上の位置づけが変更され、新型コロナ陽性者及び濃厚接触者の外出自粛要請もなくなりました。これに伴い、令和2年春の新型コロナウィルス拡大以降、長い間極力外出をお控えになった両陛下のご生活の中にも、少しずつお出ましの機会が見られるようになりました。
今年5月中旬には、4年振りに陛下と共に京都と奈良をご訪問になり、京都の尼門跡寺院・大聖寺では本年2月に修復を終えた昭憲皇太后大礼服を、奈良の尼門跡寺院・中宮寺では一昨年3月に改修工事を終えた本尊・国宝菩薩半跏像を安置する本堂をご覧になりました。上皇后さまは、今回の修復、改修事業を含め、尼門跡寺院とその所蔵する文化財の保護を長年にわたり支援されており、それぞれの寺院から事業完了のお知らせと共にお出ましの希望が伝えられていました。また、京都では丁度この時期に行われていた葵祭を初めてご覧になり、天理市の「なら歴史芸術文化村」では文化財修復作業についての説明を受けられ、久し振りの古都を懐かしまれお楽しみになりました。
都内及び近郊へのお出ましとしては、陛下とご一緒に、今年2月、JICA横浜海外移住資料館で開催された沖縄復帰50周年記念企画展「沖縄移民の歴史と世界のウチナーンチュの絆」を、6月に国立劇場で琉球舞踊立方の人間国宝である志田房子さんの特別公演「琉球舞踊志田房子 真木の会」をご覧になり、沖縄の歴史と文化に触れられました。また、同2月にお訪ねになった総務省の委託施設である平和祈念展示資料館では、シベリア抑留者と家族との間で交わされた葉書を紹介する企画展「収容所(ラーゲリ)と日本を結んだ葉書」と常設展をご覧になり、5月に戦没・殉職船員追悼式が第50回を迎えた折には、昭和46年の第1回追悼式から度々ご臨席になったこれまでを陛下と振り返られ、よく戦時中のことをお話になっていらっしゃいました。
長い間、JBBY(日本国際児童図書評議会)の活動を支援されてきた上皇后さまは、8月に板橋区立美術館がJBBYと共催した「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」をお訪ねになりました。また、児童文学を通してご親交の深かった児童文学者の松岡享子さん、福音館書店社長の松居直さんのお別れの会が年明けに開催された折には、開会前に会場をお訪ねになりお二人の遺品に目を通されました。
9月には、陛下と共に千代田区立日比谷図書文化館で開催された「関東大震災100年 首都東京の復興ものがたり」特別展をご覧になり、帰路、近接する日比谷公園内のエルピディオ・キリノ・フィリピン共和国元大統領の顕彰碑にお立ち寄りになりました。キリノ元大統領は、太平洋戦争末期に夫人と子供3人を日本軍に殺害されましたが、戦後の厳しい対日感情の中で、「自分の子供や国民に、我々の友となり、我が国に末永く恩恵をもたらすであろう日本人に対する憎悪の念を残さないため」として、フィリピンのモンテンルパ刑務所に服役していた105名の日本人戦犯全員を恩赦により釈放し、1956年7月の日比国交正常化への道を開き、今日の日比友好の礎を築かれました。両陛下は、平成28年1月のフィリピン国訪問の折に、キリノ元大統領の孫にあたる人々と特別にお会いになっており、上皇后さまはご帰国後に「許し得ぬを 許せし人の名と共に モンテンルパを心に刻む」と御歌に詠まれています。
夏のご静養は令和2年以降控えられていましたが、今年は7月下旬に那須御用邸に、8月後半に長野県軽井沢の大日向に行かれました。御在位中、両陛下は那須御用邸にご静養の折、よく地元の農家をご訪問になっていましたが、今回、これまでご訪問になった農家の人々が大勢訪ねて来られ、久し振りに再会されました。大日向では、例年同様に、満州から引揚げこの地を開拓した人々への思いを詠まれた昭和天皇の御製碑をお訪ねになり、その後に開墾されたキャベツ畑をお歩きになって、満蒙開拓の歴史とその苦難に耐えた人々に改めて思いを寄せられたご様子でした。
ご体調につきましては、昨年12月後半、発熱、咳、喉の痛みを伴うお風邪の症状がおありで年末まで比較的長くご静養になりましたが、元旦の新年祝賀行事と新年一般参賀にはお出ましになりました。
午後に少し熱が上がるご症状は3年以上続いていますが、今もその傾向がおありで、心不全の診断指標であるBNP値は、現在も正常を超える数値が続いています。昨年8月に診断されました右膝下の深部静脈血栓症(未梢型)は、運動や水分摂取により現在は落ち着いています。
日々のご生活に大きな変わりはありません。
沖縄県慰霊の日、広島・長崎原爆の日、終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には、陛下とご一緒に黙祷され、ご健康維持のための短時間のご散策を除き、慎みのうちに終日を静かにお過ごしになります。毎日の規則正しいご生活の中で、陛下との朝夕のご散策、昭和の時代から陛下とご一緒に始められたご朝食後の本の音読はお続けになっています。また、読書もよくなさり、最近では古川安著「津田梅子:科学への道、大学の夢」、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」、ロビン・ウォール・キマラー著「植物と叡智の守り人」、高橋純一著「ミツバチの秘密」など、ご要望のあった書物をお手許にお上げしました。
両陛下はお二方でお話になることを大切になさっていますが、お側で拝見していて、様々な分野の人々とのこれまでの多くの出会いが、今のお二方の話題を豊かなものとし、ご生活に充実した潤いをもたらしているように感じられます。上皇后さまは、いつも陛下のことを第一にお考えになって細やかにお支えになっていらっしゃいますが、上皇后さまのご体力の低下が進む昨今は、陛下がしばしば「大丈夫?」とお声を掛けられ、上皇后さまのご体調を案じていらっしゃいます。
お誕生日行事は、別紙のとおり、4年振りとなった昨年と同様に簡素な形としながらも、周囲からお会いを望む声があり、やや人数を増やして祝賀をお受けいただく予定です。
2023年10月20日 0時0分 日テレNEWS NNN
https://news.livedoor.com/article/detail/25199815/
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