小説 No Exist Man 2 (影の存在) 第一章 再来 3
小説 No Exist Man 2 (影の存在)
第一章 再来 3
大沢三郎が陳文敏から聞いた内容は、衝撃的な内容であった。少なくとも、まずは中国共産党政府が、京都の事件で死んだ李首相の補償を日本政府に求めるというところまでは理解できる。すべての謝罪を受け入れないということは、ある意味で当然のことであろうと考えたが、そこで「二度とそのようなことがないように」ということで、賠償金を求めるという話になる。そしてその賠償金と同時に沖縄県の99年間の租借を求めるというのである。
「99年の租借。それも沖縄県全体の」
「そうです。イギリスはアヘン戦争の賠償として香港を99年間租借しました。今回は李首相だけではなくほかの随行員もすべて日本人に殺されたのです。ある意味で虐殺といえるでしょう。本来ならば九州まですべて租借してもかまわないのですが、そこまでしないのですから、ありがたいと思ってもらわないといけません」
陳文敏は、全く表情を変えずに言った。その後ろには、全く表情を変えない高鋼がたったままである。何か変な対応をすれば、殺されてしまうのではないかというような不気味な感覚がある。何の根拠もないが、何か鋭い刃物を突き付けられているような恐怖を感じるのは、彼が軍人であるからだけではないだろう。
「どうして政権交代を望まないのですか」
「政権交代、なんですかそれは」
陳文敏は、何か自分の主張が否定されたかのような反応を示した。大沢三郎にしてみれば、そもそもは天皇を暗殺し、そのうえで阿川首相の責任を追及し他上で自分の、いや、少なくとも自分が率いる立憲新生党の政権を作るということが目的であったはずだ。
「もともとそういう約束であったでしょう」
「そんなことは租借が決まれば、あとは日本国内でできる話でしょう。そもそも沖縄県の租借などが認められれば、当然に、阿川首相は退陣に追い込まれます。そうすれば大沢さんが勝手にやればよいこと」
勝手にやればよい、という言葉に大沢は反応した。陳文敏が中国に戻って何かがあったのであろうが、しかし、そのまま引き下がるわけにもいかない。
「勝手にとはひどい言い方じゃないですか。」
「では、大沢さんは阿川首相が簡単に租借を認めると思うのですか」
「えっ」
当たり前のことであるが、99年の租借というのは、中国が香港に関して行った政策と同じだ。そのうえそれは政権が変わっても国家間の約束として成立してしまう。そのように歴史に残るようなことを阿川首相がするとは思えない。しかし、障害はそれだけではない。沖縄には米軍基地がある。その米軍基地をどのようにするのかということが大きな問題になる。ましてや、中国に租借するということは、そのまま沖縄県民は中国人になるということになる。それは沖縄の米軍基地の様々な従業員もすべて「中国人」が担当するということになるのであるし、米軍基地から出るごみの処理も、兵器などの輸送もすべて中国が関与するということになる。アメリカがそのようなことを認めるとは到底思えない。
要するに、中国共産党は無理筋を通せという要求をしてくる。それは、そのまま阿川首相が断るという前提であろう。今回の殺人犯やテロリストの引き渡しなど、簡単に日本だけでなんとかなるような話でもない。
「なるほど」
大沢はやっと納得した。
「それで、陳さん、そのあとはどうなるのでしょうか」
「それは言えません」
「なぜ」
「99年租借の段階、それを理解できない人に、そこから先の話などはできるはずがないでしょう。」
陳文敏は、何か得意げにあ後を少し上に突き上げた。何か見下すような幹事で大沢は見られている感じがして不快だ。
「いや、そこは理解できているのですが、私はどうしたらよいのでしょうか。」
「自分のことは自分で考えなさいよ。大沢さんも日本のリーダーの一人でしょう」
陳文敏は、何かあきれてしまっていた。大沢三郎というのはここまで頭が悪い人間であったのか。このような人間と組んでいたことが、もしかしたら前回の失敗ではないか。はっきり言ってしまえば、極左集団の松原隆志の方が使えるのかもしれない。
もちろん、このような時に敵を増やす必要はない。適当にあしらうが、邪魔な人間にはあまり少佐な情報を渡さないというのも本来の内容ではないか。そう考えれば、この大沢との話をなるべく早く切り上げなければならない。多分、横にいる高鋼も、同じように、いや陳文敏自身よりも鋭く大沢さ労を見下しているに違いない。そして、陳自身が心配しているのは「そのような人間を見ることができない」というように、共産党の幹部に「陳文敏は無能だ」と報告されることが最も恐れるべきことなのである。それをしないためには、大沢を見下し、そして適当に追い返すしかない。
そのように思って少し横目で高鋼の方を見ても、この男の表情からは何も見えないような状態である。陳文敏は、自分で大沢の態度を決めざるを得なかった。
「陳さん、急に冷たくなった感じですね」
そのまま黙って少し食事をした後、大沢は言った。今までこのようなことはなかった。何かがおかしい。大沢はそのように考える以外にはなかった。
「食事もここまでです。そろそろ政治活動をされてはいかがでしょうか」
陳文敏の態度は、予想とは全く異なるものであった。
そして陳のその言葉とともに、今まで全く動かなかった高鋼が無表情のまま動くと、大沢の後ろに立ち、そして肩を軽くたたいた。大沢にしてみれば、銃を突き付けられたかのような恐ろしさを感じるのに十分であった。
「わかったよ」
大沢は少し不快な表情をして席を立った。
「大沢が出ます」
いかにもこれから六本木に遊びに行くといった感じの不良少年、いやもうおじさんの域に達しつつある十数年前の粋がったやろうという感じの男が、奉天苑の前に立っていた。菊池綾子の友人のマサであった。マサは大沢三郎が奉天苑に入るところからずっと見張っていて菊池綾子に連絡を取っていたのである。できれば中に入って話を聞きたかったが、さすがにそのような風体ではないので、外で建っているしかない。幸い飯倉の交差点はそのような「待ち合わせ」をしている人が少なくないので、あまり目立たずに立っていることができた。
「一人。それにしても早いわね」
電話の向こうでは、菊池綾子が時間を計測しながら連絡をしている。
この奉天苑で大沢三郎と陳文敏が会合をすると、何か別な計画が動き出す。ここ数か月何もなかったにもかかわらず、今回は松原も他のメンバーも誰もなく、ここで二人で会合をしているという尾kとに非常に違和感があったので、菊池はマサにそのまま見張るように依頼したのである。
それにしても早い。
1時間くらいで会食での打ち合わせが終わるはずがない。そもそも京都の天皇陛下暗殺未遂の件の反省会にしても時間が少なすぎる。ましてや次の計画を立てるのであれば、他にもメンツがいておかしくないし、また時間もかかるはずだ。
「表情は」
「不機嫌そうです」
何かがあったな。そのことは簡単にわかることであった。しかし、その「何か」がわからない。
「バイク」
「いえ」
「つけられる」
「タクシーでなら」
「お願い」
「はい」
菊池綾子は、そのように指示をすると電話を切った。
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