「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 時代に乗り遅れたものの運命というメッセージ

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 時代に乗り遅れたものの運命というメッセージ


 毎週水曜日は「宇田川教育論」か「大河ドラマ」に関してお話をさせていただいている。ニュースの解説ばかりでは肩が凝ってしまうので、一週間の真ん中は少し気を抜いた話ができるようにということで、大河ドラマに関しては「現在よりも過去について、そしてテレビドラマということに関して話をする」ということを、また「宇田川教育論」に関しては「若者を教育するということを通して、日本の将来を考える」ということをテーマにしている。要するに水曜日は、いつの間にか「現在ではなく、過去や未来を語る日」というようなテーマになりつつある。もちろんそのようなことをはじめから企画したわけではないのであるが、いつの間にかそのようなテーマになっている。

今週はずいぶんと久しぶりに「大河ドラマ どうする家康」について書いて見たい。

それにしても「茶々(淀君)」の配役には驚いた。なんとなくそれっぽい匂いはしていたし、確かに歴史書には茶々は最も母親の市に似て美人であったというような記述もあるが、それにしてもお市の方役の北川景子さんが、そのままその自分のやっていた役柄の娘役である茶々の役も行うとは、なかなか大胆な内容である。似ている女優と使うなどの話は聞いたことがあるが、全く同一人物を使うというのはなかなか勇気が必要だ。

というのも、お市の方に関しては、本人は全く悪くないし、兄の織田信長も悪くない、また、夫の浅井長政も何の落ち度もないのだが、しかし、戦国時代という時代の波に翻弄されて、そのことによって不幸になった「時代の犠牲者」というような感じであろう。しかし、茶々任官して言えば、ある意味では時代の犠牲者かもしれないが、しかし、茶々は自分のわがままと、親を早くになくして時代にほんろうされ、その時代の波に抵抗したというような女性であり、壮大なコンプレックスを感じさせる女性である。時代の波に翻弄されたということは一緒であるが、同時にその「時代」というものへのアクセスの仕方が全く逆の女性を一人が演じ切るということになる。北川景子さんの演技力が無ければできないものである。

それにしても、化粧で女性というのはこうまで雰囲気が変わるのかという恐ろしさも感じる。まあ、それほどうまく演技をしているということであり誉め言葉と受け取ってもらいたいのであるが、しかし、なかなか興味深い部分ではあるのではないか。

「どうする家康」第37回「さらば三河家臣団」北条攻めが浮き彫りにした時代の変化に適応する難しさ【大河ドラマコラム】

 「世は、変わったのでござる」

 NHKで好評放送中の大河ドラマ「どうする家康」。10月1日放送の第37回「さらば三河家臣団」で、主人公・徳川家康(松本潤)が語った言葉だ。

 この回、北条攻めを決断した豊臣秀吉(ムロツヨシ)は、家康と共に北条の本拠地・小田原城を包囲する。これに籠城で抵抗した北条氏政(駿河太郎)、氏直(西山潤)親子だったが、圧倒的戦力差に加え、一夜城などの知略に屈して、ついに降伏。そして家康は小田原城内で氏政と対面する。

「なぜもっと早く降伏しなかったのか」と問う家康に、氏政は悔しさをにじませながら、「われらはただ、関東の隅で侵さず、侵されず、われらの民と、豊かに穏やかに暮らしていたかっただけ。なぜそれが許されんのかのう!」と答える。それに対して家康が語ったのが、冒頭の言葉だ。時代の変化についていけなかったことが、氏政の敗因だったと家康は受け止めたようにも聞こえる。

 だがこの回、時代の変化に直面したのは、氏政だけではない。家康自身も秀吉から“国替え”を命じられ、これまで治めていた三河や駿河を離れ、北条領だった関東へ移ることとなった。秀吉のこの指示に抵抗を試み、北条攻めの後まで家臣に伝えられずにいるなど、家康自身も時代の変化に直面し、葛藤していた。付け加えるなら、秀吉の国替えの命令に抵抗して改易(所領の没収)させられた織田信雄(浜野謙太)もいる。一連の出来事からは、時代の変化に適応していくことの難しさを痛感させられた。

 その中で家康が、なんとかことをうまく運ぶことができたのは、その苦しい胸中を察した本多正信(松山ケンイチ)のおかげだ。正信は小田原攻めの前に、大久保忠世(小手伸也)にひそかに事情を打ち明け、家臣たちの説得を依頼。これにより、小田原攻めの後、家康が国替えを伝えた際も、混乱なく事態を収めることができた。ひたすら家康に従ってきた他の家臣たちと違い、一向一揆で家康と敵対して追放されるなど、人生の重大局面を乗り越えてきた正信だからこそ、果たすことができた役割といえるだろう。そうした家臣たちに恵まれたことも、家康が戦国を生き延びた秘訣(ひけつ)だったのかもしれない。

 だがその一方で、時代の変化に適応できず、敗れ去った北条氏政が愚かだったとは思わない。時代の流れに逆らって自分の信念に殉ずることも、人生の美学として十分尊重に値する。振り返ってみれば家康自身だって、少し前までは秀吉への臣従をためらっており、一歩間違えば徳川も北条と同じ運命をたどっていたかもしれないのだから。その重大な局面を乗り切れたのも、石川数正(松重豊)の出奔があったからで、やはり家康は家臣に助けられていると言わざるを得ない。

 その家康も、国替えによって、これまで支えてくれた家臣たちと離れ離れになった。江戸に移った家康がこれからどんな道を歩むのか。時代の変化に適応する難しさを考えさせられると同時に、その局面を乗り越えた家康の今後が気になる回でもあった。

(井上健一)

2023/10/06 モデルプレス

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 さて、過去に何度も書いているように「大河ドラマ」は「歴史を題材にしたドラマ」である。つまり、「歴史」を書いているが、一方でその内容は「フィクション」であることは間違いがない。何故「フィクションを書く必要があるのか」ということがある。これはいくつかの理由があり、一つ目には、「歴史的あ記録だけでは、物語は空白ができてしまうので、ある程度想像力で補わなければならない」ということがある。これは記録というのはすべての内容が書いてあるわけではない。特に「こう思った」などということは全く書かれていないものなのである。そのようなことをうまくつなぎ合わせて、物語にしなければ、見ている人がわからなくなる。歴史の勉強番組ではないので、そこをうまくつなげなければ、解説者がいるわけではないのである。そのように考えれば、これは一つの理由である。

次の理由は「価値観を現在の価値観にしなければ話が通じない」という部分がある。例えば何かを失敗して切腹するという場面がある(戦国時代はあまりないのだが)。しかし、今の日本人の場合、死ぬ必要はないではないかというような感覚になる。そのようにならないように、そのような環境などをしっかりと伏線で作っておかなければならない。そのためには、別な物語や伏線の物語を作って、現代の視聴者にわかられなけばならない。

そしてもう一つの内容が「現代の人々にメッセージ」が必要である。要するに、ドラマとしてのテーマである。

今回の「どうする家康」はそのような意味で、時代考証はかなり苦労しているはずだ。要するに「歴史上に必ずあった」ではなく「ありえなくはない」というラインで時代考証をしている。その内容をどのようにするのかということがあり、その為に、ドラマの幅を広げている。実際に様々な学説がありまた、人間である以上、様々な性格的側面がある。それを最大限にして物語をうまく作り、そのうえで、しっかりとしたメッセージ性のあるドラマにしている。

「世は、変わったのでござる」<上記より抜粋>

まさにこの「時代に対する対応」ということが、今回のテーマである。このテーマそのものがほかのニュース番組でもなんでもある。

「われらはただ、関東の隅で侵さず、侵されず、われらの民と、豊かに穏やかに暮らしていたかっただけ。なぜそれが許されんのかのう!」<上記より抜粋>

まさに「一国だけの平和」などということは許されず、戦国の世のにっほん全体の動きに流されるということが今回の内容であり、その「世の中の変化」に対応できない北条が滅びるということである。これ以上は言わないが何か考えさせられるものがあるのではないか。もちろんそのことが悪いわけではない。しかし、そのような「一国平和主義」がまかり通らなくなったということを歴史の中でしっかりで出てきている。

このように「時代に取り残された人々が、たどる運命」ということに関して、NHKがニュースなどの報道とは異なるメッセージが出ていることはなかなか興味深い。そしてそのメッセージをしっかりと受けて、今の人々がしっかりと考えることこそが「フィクションであるドラマ」の役目なのではないか。その意味ではしっかりとできているドラマではないかと思う。

宇田川源流

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