「宇田川源流」 あまり政権批判はしたくないが「ひどすぎる」岸田首相のスピーチ
「宇田川源流」 あまり政権批判はしたくないが「ひどすぎる」岸田首相のスピーチ
聖教新聞のコマーシャルではないが、政治家という職業は「言葉で生活をしている」人々である。
実際に何か政治を行い、その政策を実行するにしても、その政治というのは、日本の場合は議会で議論をし、自分の政策をしっかりと多くの人に伝えその政策に関して賛同を得たり、よりよくするためにアドバイスを受けたりしながら、政策をより良いものにし、そのうえで政策を実行する。政治というものは一つの政策で終わってしまうものではないので、その政策ン結果がどのようになったかを有権者に伝え、そしてその次の政治を行うということの繰り返しなのである。そして、その中でコミュニケーションをとるということに関しては「国民の声を聴く」という事、そして「相手に自分の意思を伝える」という事、そのうえで、「その内容を実行に移して、結果を共有する」ということが重要なプロセスである。そのコミュニケーションには「言葉」が重要であり、そのことから、どの国でも、その国の「公用語」つまり政治的な内容にかんして政府が公式にどの限度で国民に伝えるのかということを、あらかじめ決めておくということになる。
それほどコミュニケーションは大事なのである。きしだしゅしょうはそのことはよくわかっているのであろう。そのことから、「話を聞く内閣」として、初めのうちは売り出していた。その意味であまり結果が出なかったにもかかわらず、岸田内閣の支持率は、私などが見ていればあまりにも高すぎる水準になっていたのではないかという気がしているのである。
では、そのような状況に関して、あまり話すことがうまくなかったり、あるいは、大事な時に毎回同じであったらどのように思うのであろうか。一つには「全く真剣に話していないし、このことを考えていない」というように思うのではないか。時事的に様々なことがありそのことを織り込むことでも全く話すことは変わってくるし、自分の言葉で話そうとすれば、当然に様々な意味で抑揚がついてくるのは普通である。しかし、そのような話にならないというのは、本人が考えていないからに他ならない。同時にそうなってしまうと「なにも伝わってこない」ということになってしまうのではないか。
自分の言葉を持っていない、そんな政治家の言葉で、支持する気になるのかはかなり疑問だ。
「コピペ文章」「話す力もない」岸田首相 戦没者追悼式の式辞が前年とほぼ同じ…吹き荒れる批判
8月15日、全国戦没者追悼式が東京・千代田区の日本武道館で行われた。広島選出の岸田文雄首相(66)も参列し、式辞を述べた。しかし、“前例踏襲”すぎるその内容に批判が集まっている。
終戦から78年目となったこの日、天皇、皇后両陛下ご臨席のもと、行われた追悼式。台風7号の接近により愛知県や兵庫県など10府県の遺族らが参列を見送るなか、岸田首相が読み上げた式辞は、22年の追悼式で岸田首相が述べた式辞とほぼ同じ言い回しだったのだ。
たとえば、今回の式辞の序盤では「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々」と戦没者に思いを馳せたが、この部分は一言一句、22年のものと同じ。
22年に「広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄における地上戦など、戦乱の渦に巻き込まれ犠牲となられた方々」と述べた部分は、今回は「広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々」と発言。言い回しの細かな変化はあるものの、“使い回し”のようにも思える。
日本に帰ってきていない遺骨について触れた場面でも、22年は「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります」と述べたが、今回は「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります」と発言。22年のものに、わずかに表現を追加したのみだ。
そのほか、22年に「今日、私たちが享受している平和と繁栄」と話した部分を今回は「今日の我が国の平和と繁栄」と、22年に「今を生きる世代、明日を生きる世代のために」とした部分を今回は「今を生きる世代、そして、これからの世代のために」と部分的に言葉遣いを変えている。しかしここで挙げた以外の部分はすべて22年の式辞を一言一句踏襲しているのだ。
戦没者を悼み、恒久の平和を願う気持ちは時が経っても変わらないだろう。しかし、ほとんど前年と同じ内容であることから、SNS上では批判の声が続出している。
《これには本当にガッカリする。素直に、日本国民として、一人の大人として。》
《コピペ文章を読むだけの簡単なお仕事か?自分で考えて書いて読めよ》
《「聞く力」などないことはすでに明らかになっているが、「話す力」がないことも明らかになっている。》
《日本の総理大臣はChat GPTに代わって貰ったほうが良いんじゃない》
《この人は何のために「広島」を背負って国会議員をやっているんだろうか?こういう日の式辞くらい自分の気持ちを乗せれば良いのに。あ、気持ちなんて元々ないよね。》
5月には被爆地・広島県でG7サミットが開催されるなど、同県選出の政治家として平和路線が期待されたはずの岸田首相。今回の前例踏襲は、あまりにもお粗末だった。
2023年08月17日 11時00分女性自身
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12268-2503829/
今月のオンラインサロン「陰謀渦巻く政界情勢の中であなたが生き残る方法」(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)では「安倍死後1年で日本政治の変貌」と題して、安倍首相の死後1年間で、自民党や日本の政治というのはどのように変わったのかということをお話ししている。その中でも、特に岸田首相の言動や政策に関して何かおかしいのではないか、そしてなぜ岸田内閣の最近の政治に関して支持率が下がり続けているのかということを、様々な角度からお話ししている。ちなみに、オンラインサロンは、上記のURLからお申込みいただくと、毎週月曜日と木曜日に更新され、そして中に質問などもできるようになっているので、ぜひご購読お願いしたい。毎月一つの問題をしっかりと議論しながら、見ていただければ基礎からわかるようにしている。
さて、そのオンラインサロンの中でも話をしているのであるが、岸田内閣というのは、本当に「国民とコミュニケーションが取れていない内閣である」というように思う。実際に「聞く」ということがあっても、「国民が声を出す」ということは、その声によって政治が変わってほしいとか、自分の希望を政治に反映させてほしいということであり、その声が、首相の手で握りつぶされてしまい、無駄となってしまったら、期待した分だけ損をしたという気分になる。まさに、岸田内閣は「多くの人の期待を裏切った内閣」というような評価委になってしまっているのではないか。
その「期待の裏切り」は今回の蒸気の記事でも見ての通りだ。
G7サミットで「世界に平和を訴える」「核兵器を廃絶する」などという掛け声はよい。しかし、そんな掛け声ならば誰でもできるのである。政治権力を持った人は、そのことに向かいしっかりと考え、検討し、自分の問題として行動し、そして結果を出さなければならあい。アメリカのオバマ大統領も核兵器廃絶を訴えたが、実際のところ、その演説は全く実現できなかった。当然に期待を裏切られたとなったのは言うまでもない。そのうえで「唯一の被爆国だからできる」などという掛け声はよいが、では岸田内閣は戦争についてどのように考え、また、平和についてどのように考えているのか。そのことは、そのような時にしっかりとスピーチしなければならない。
そのスピーチが「二年間で全く同じ」ということは、1年間の間、何も行動していないし、何も発展していないということを意味しているのであり、それは「平和に関して全く行動していない岸田内宮の<掛け声だけ>の政治」が明らかになってしまったのではないか。
もちろん、人間であるから得手不得手はある、しかし自分の中心的な政策として話をしているのであれば、「平和」に関することくらいは、自分の言葉でしっかりと語ってもらいたいものだ。スピーチライターがどうこうというものではないのではないか。本当に平和を考えていない、単純に「サミットの様な目立つところだけ」が自分の出番としか思っておらず、日本の戦没者のことなどは全く何も考えていないというような、このような態度を続けていれば、すぐにまた自民党そのものが下野する日が来るのではないかと思う。
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