「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 バスの中から
「宇田川源流」【お盆休みの怪談】 バスの中から
本日から「お盆休みの怪談」として、お盆休みの、政治や経済があまり動かずに、様々な仕事が停滞している時期に、今まで書いていた会談などでその話をしてゆこうということを考えている。このまま20日までこの会談企画をしようと思っているのでよろしくお願いします。
人間は、一人では生きてゆけません。いや、生きてゆくというのではなく、孤独を絶えることができないのではないかと思います。それはなくなられたご遺体が「自分を見つけてください」というような話が少なくなく残っているからです。死んでしまったらすべてが終わり、そう考える人がいますが、そうではなく、死んでしまっても多くの人の心の中に囲まれたいと思っている人は、気づいてほしいといっているのではないでしょうか。
バスの中から
宮城県のある市の話です。私が直接体験した話ではありませんが、この事件を基に私たちのボランティアの活動が、一時変更されるということがあったので、事実だと思います。
まだ、4月の半ばで、震災の傷跡がまだまだたくさん残っているときの話です。私は仙台に住んでいたのですが、ユアテックスタジアムの近くでしたので、かなり揺れはしたものの、津波の被害はありませんでした。仙台でも、空港の方はかなり津波の被害がありましたが、内陸部の方は揺れただけで津波の被害は何もなく、普通に過ごしていました。それでも地震の直後は、食べ物や水が不足したり、ガソリンがなくなったりしていましたが、それでも電気や水道などは来ていましたし、津波の被害に比べれば何んともありませんでした。
しかし、仕事はそうはいきませんでした。計画停電はありましたし、道路なども寸断されていて、原材料も来ない。それだけでなく、そもそも政府の方針というか、社会の状況というか、復興がなければ何もしてはいけないというような雰囲気があり、東京などでも花見もなければ、テレビもまともにコマーシャルを流せるようなところではありませんでした。控除の部品や原材料を輸送してはいけないような雰囲気で、トラックがあれば支援物資以外は輸送してはいけないような感じでした。当然に私たちも全て休みになってしまい、会社の斡旋で、半分強制的に被災地にボランティアに行かされたのでした。
そんなボランティアですから、朝、会社に集合し、バスで毎日被災地に送られて瓦礫の整理や遺品の分類などを行っていました。
しかし、ある日のことでした。地域の消防団の人から、突然にこんな指令が来ました。
「ちょっと、悪いんですが、廃車場や車がたまっているところに行って、その車の中なんかに御遺体がないか確認していただけますか」
「どうして、そういうのは自衛隊や消防団の人がやるんじゃないですか」
「もちろん我々もおこないますが、しかし、皆さんで手伝っていただきたいんです」
「そんなに、大人数でやるべきことですか」
「はい。それで御遺体を見つけた場合は近くの消防団員に知らせていただきたいのです」
私たちはそこで5人組に分けられ、そこに消防団員や市役所の人などが一人ずつついて、廃車の点検をしました。
私のところについたのは、少し年を取った、50代後半の消防団員の人でした。
「何があったんですか」
「あまり話してはいけないんだけれども、急に仕事が変わったら納得いかないよなあ」
「いや、そういうわけではないんですが」
「まあ、あまりさまざまなところで話しをしないでもらいたいんだが……」
初老の消防団員はそういい始めて、話しをしました。
まず、先週、夜に車で移動していた二人の消防団員が、ありえない場所で事故を起こしたということでした。その事故も、対向車がいたとかそういうのではなく、突然、道の横の溝に落ちたというのです。もちろん、街頭などもすべて流されているので、道は危険がたくさんあります。ちょっと運転を誤ればそのようなことは無いとは言えません。しかし、様子が変だったのは、事故現場に全くブレーキ痕がなかったのです。そして、後ろの方で見ていた目撃談は、急にその車が急ハンドルを切って曲がって道の下に落ちていったというのです。消防団員たちは幸い怪我だけで命に別条はありませんでした。そこで話を聞いてみると、運転していたら、子供の「助けて」という叫び声が、急に車の中に大音量で響いたというのです。そして、その音に弾かれるように急ハンドルを切ってしまったというのです。
その場所は、事故が多発するので、地元に人が神主を呼んでお払いをしました。もちろん、津波以降、幽霊などを信じない人も、みんな不思議な体験をしていましたから、神主さんを呼ぶことなども全く抵抗なく受け入れられたといいます。その場所に、何か強い例でもいるならば、それを払って、現在生きている人の安全を祈願しなければならないのです。
しかし、神主さんは意外なことを言います。神主さんは、その場所に隣接した、ちょうど消防団員がハンドルを切って落ちた方と反対側の方を指さしました。そこは津波で傷ついて使えなくなった車の廃車場だったのです。
「この廃車場の中にバスがあると思うのですが、そのバスの中に、助けてといっている声の主様がいらっしゃいます。その主様を探し出さなければ、どんなにお払いをしても何の役にも立ちません。ぜひ主様を探してください。」
住民など手の空いている人総出で、この場所の廃車場を探しました。中に、確かに津波で流されほとんど原形をとどめていないバスがあったのです。そして、バスの中をくまなく探してみると、つぶされたバスの座席と座席の間、普通に外から見たのではわからないような場所に、子供の遺体があったのです。この子は、津波が怖くなって、座席の下に隠れたのではないでしょうか。そのまま椅子と椅子の間に挟まれなくなってしまったのかもしれません。他のバスの中の御遺体をみんな探してくれたのに、自分だけは取り残されて淋しくなってしまったのではないでしょうか。そこで、道を通る人すべてに助けてといっていたのではないかと、消防団の人は少々悲しそうにそのように語っていました。
その事件があって、あらためて、車やまだ残されている家など、全てを再度確認して、行方不明者を探すということになったのです。そして、その結果、完全な御遺体を含め、手だけ、足だけなど、御遺体の一部と思われるものも含めて、かなりの数の「ご遺体」が見つかったのです。
さて、その廃車場ですが、その後も廃車場として使われています。しかし、バスの間の子供の御遺体を発見し、供養してからは「助けて」という声は聞こえなくなったといいます。私は、会社が復帰するまで、ボランティアはつづけましたが、しかし、そのような経験は全くありませんでした。
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