「宇田川源流」【マスコミ批判に関する一考】 過激なことをしなければ笑いが取れないワイドショーの「危険」

「宇田川源流」【マスコミ批判に関する一考】 過激なことをしなければ笑いが取れないワイドショーの「危険」

 久しぶりに「マスコミ批判に関する一考」である。マスコミを批判すれば、様々なものがあるのだが、しかし、あまりにもひどいというものも少なくないのではないか。

マスコミというよりは、今回は「テレビに出ている人」の問題なのであるが、しかし、実際ヒア「テレビに出ている人を調子づかせている」というのも、実はマスコミの責任であると考える。実際にマスコミという存在は「一般的に存在しない希少性や初期性の高いモノ」を報道し取り扱う。逆に言えば、常識的になってしまったり、あるいは、希少性が無くなってしまうと、その人に対しては見向きもしないということになってしまうのである。そのような状況では、誰もが安心して出来ない。もちろん視聴者がそのようなものを望んでいるし、マンネリ化してしまえば、視聴者はその番組を「つまらない」と言ってみなくなってしまうのである。そのような視聴者を「教育して、常識的に持ってゆく」のではなく、「視聴者のわがままに付き合い、その過激路線を後追い、肯定する」ということが最も大きなマスコミの問題なのである。

同時に、マスコミに関して言えば、「犯罪や社会規範」に対してその遵守性が乏しいところも大きな特徴である。実際に過去に犯罪を犯した人が、そのまま芸能活動を続けているということは少なくない。もちろん更正している人も少なくないのであり、その意味であ再チャレンジの場であるが、しかし、常習性がある人なども少なくなく、その意味では、犯罪に関する監視体制が甘く、また「テレビで人気さえあれば規律性は低くても問題がない」というような所になってしまっているのである。

そのような状況を考えると、テレビの影響というのは、悪い方に大きく傾いてしまい、そのことから、社会的に与える悪い影響が出てしまうのではないか。

今回もそのような事件が発生してしまったといってよいのではないか。

オードリー春日〝ペンギン池落下〟の大誤算 専門家が日テレ「スッキリ」断罪

 今月末で終了する日本テレビの情報番組「スッキリ」が大炎上している。

 24日放送でオードリーの春日俊彰が栃木県の那須どうぶつ王国を訪れ、希少種のフンボルトペンギンに餌やりする様子を生中継。この際、スタジオにいた司会の加藤浩次が「春日、池に落ちるなよ。気をつけろぉ! 足元に気をつけろぉ!」と連呼すると、春日がわざとらしくペンギン舎の池にドボン…。その後も加藤に煽られて春日が再び池に落ち、スタジオで笑いが起こった。

 しかし、一歩間違えば希少種のペンギンが踏み潰されたかもしれない危険行為だ。那須どうぶつ王国は「誠に遺憾であり、テレビ局側に厳重に抗議いたしました。今後は取材ロケの受け入れについては報道側に動物への尊厳を傷つけるような行為がないよう厳しく対応してまいります」とコメントを発表し、憤りを隠せない。結果、これがSNSで拡散されて炎上し、「スッキリ」は公式ホームページで謝罪文を掲載する事態に追い込まれた。

 いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?

「加藤と春日の〝掛け合い芸〟は『スッキリ』の恒例です。いつも加藤と春日の間でドタバタ劇が繰り広げられ、視聴者の間では春日の反応がおもしろいと話題だった。ただ、今回はTPOを間違えた。ペンギン舎の池に落ちることで、危うくペンギンを踏み潰しそうになってましたからね。動物は音や衝撃にも敏感。那須どうぶつ王国が怒るのも当然です」(日本テレビ関係者)

「スッキリ」は謝罪文で「動物がいない池に入る可能性があることは事前に打合せしておりましたが、本番ではペンギンのいる池に入ってしまう放送となりました」と釈明。春日が池に落ちるまでは〝台本通り〟、ただ落ちた場所が想定外だった可能性がある。

 TBSのかつての人気動物番組「どうぶつ奇想天外!」でディレクターだった動物ジャーナリストの佐藤栄記氏は、こう糾弾する。

「芸人の暴走ではなく、演出だったのなら言語道断だ。各動物園が鳥インフルの流行で感染症対策に神経をとがらせているなか、ペンギン舎の池に未消毒の服ごと落ちるなど論外。どうしてこうなってしまったのか、週明けの番組冒頭でしっかり経緯を説明して謝罪すべきだ」

 今回の件を受けて、動物好きの著名人らも反応。女優の杉本彩は「放送された問題の部分を確認したが本当に酷い内容だ。動物の尊厳を完全に無視している」、「スタジオで笑っている出演者の感覚にも疑問」などと批判した。

 今月末で放送を終了する「スッキリ」だが、またしても大きな〝失点〟をしてしまったようだ。

2023年3月25日 5時15分 東スポWEB

https://news.livedoor.com/article/detail/23933018/

 芸人は、芸で人を笑わせる者であり、雰囲気などで笑わせる者ではない。もちろん、昔の笑福亭春団治のように、その場にいるだけで雰囲気が明るくなるというような人もいたし、逆に桂米朝のように、座っているだけで威厳があり、その威厳と話している内容のギャップで大いに笑わせる名人もいた。漫才というのは、当然に、その内容を二人の掛け合いで行い、なおかつ「コント」のように、劇場の空間のような形で会場を巻き込んだ笑いを誘うこともある。それらはいずれも、名人芸の域に達するのであり、また、その為には非常に様々な練習をし、修業をしなければならない。

誰もが知っている「芸人」と、たまたま一回飲んだことがある。その時、私に対してではなくそこにいた後輩芸人に語っていた言葉であるが、「笑いというのは、楽しく楽すると書くものだ。しかし芸人にとってはそうではなく、相手を楽しませるということは、自分とネタに厳しくなければならない。自分とネタに厳しいから、見ている人は安心して楽しくなることができる。それができないで安易な笑いを取っていれば、その笑いは嗤い(嘲笑)に代わってしまうんだ。そして芸人自体が全て嘲笑の的になって滅びてしまうんだよ。ちょうど今(その時)、裸になって桶踊りに近いもので笑いを取っている芸人や、ぼけてわざと失敗して笑いを取っている芸人がいる。もちろん、真剣にやって失敗したものを責める気はないが、しかし、それをゲイだと勘違いしてしまっては、笑いが嗤いに変化する相手のことがみえなくなってしまうんだよ。芸人は、それじゃあダメなんだ。計算された芸で笑いを取らなきゃダメなんだよ」

この言葉は、含蓄がある言葉なので、私自身為になると思って、飲み会が終わってからメモを取った言葉だ。

さて、今回の那須サファリパークでの芸人がペンギンの池に落ちた内容は「笑い」だったのか「嗤い」だったのか、そもそも、落ちるのが「芸」であったのか、そのことが大きな問題であろう。

要するに「計算されつくされた芸で笑いを取ることのできない芸人を使ってしまっていることが、今回のような事故を引き起こす原因になり、そのような人を使っているマスコミに紋愛がある」ということになるのではないか。逆に言えば、マスコミは、「本当に面白く、そして視聴者を楽しくさせる事がわかっていない」ということでしかなく、マスコミと視聴者の意識の乖離が大きくなっているということに過ぎないのではないかという気がするのである。

このような芸人を使い続けたたことも原因で「スッキリ!」という番組は終了するのかもしれないが、しかし、ペンギン池に落ちた芸人をそのままにしたマスコミ人は、そのままテレビ局に残っている。要するに、視聴者の事を理解していない笑いと嗤いの区別もつかないような人が、残ってしまっているということを、我々は忘れてはならいのである。

宇田川源流

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