「宇田川源流」 限界に達した救急車の出動件数から見る「日本人の危機意識の問題点」

「宇田川源流」 限界に達した救急車の出動件数から見る「日本人の危機意識の問題点」


 救急車が足りない。この内容のポスターは見かけたことがあるかもしれないが、実際には、それほど多く張ってあるわけではない。公の掲示板などにあるが、それでも気に留める人は少ないのではないか。しかし、そのようなことから、この問題は解決しないという状態になってしまっている。

 しかし、実際の所「緊急」事態に対して備えるというのは、非常に必要なところであるにもかかわらず、日本人はそのことに備えるのは非常に苦手な国民性を持っている。ある意味で「平和ボケ」という言葉を使うのであるが、日本人という国民性は基本的には「何かがあってもなんとかなる」と思っている部分があり、そのことから、緊急事態に備えるということはあまりしない。緊急事態に対して「普段から生活の一部」または「生活慣習の一つ」として取り込むことは全く厭わないのであるが、緊急事態が発生しているその時のために何かを行ったり判断をするということはできていないということになる。事前に危機に備えることを「リスクマネジメント」そして、実際に危機発生時に生き残るための訓練をすることを「クライシスマネジメント」というが、実際に日本人は「リスクマネジメントを生活慣習の中に含んで、その内容をしっかりと完成させること」はできるが「クライシスマネジメントに対応する準備をすること」はほとんどできていないということになる。

 例えば現在、「大地震が起きたら」ということに備えて非常用持ち出し袋があったり、避難場所を決めたりということは良く行っている。そのようなことに備えましょうという呼びかけも少なくない。しかし、逆に「地震が起きたときにどう行動するか」とか「その時に火星が発生した場合にどのように生き残るか」ということは基本的にはあまりしていないということになる。また、そのようなことを言ったところで、「ショックを与えるからやめてほしい」などと保護者辺りに言われて、何か白けてしまうのである。

 ウクライナの戦争報道でも同じで「ショックを受けるから」「精神的に耐えられないから」と言って、「遺体を直接映すことはしない」というようになっているが、では実際に似たような状況で、我々が災害や戦争で遺体に直面した時に、耐えるための訓練というのは必要ないのであろうか。

 同様に、救急車という「クライシス」の時に生き残る力を、我々は失いつつあるのである。

隊員の疲労限界、救急車の横転事故も 東京消防庁、22年最多出動

 東京消防庁が2022年に受けた119番の件数は、速報値で103万6645件(前年比約13万8000件増)となり、現在の集計方法になった15年以降で初めて100万件を超え、最多となった。救急車の出動件数も87万2101件(同約12万8000件増)と過去最多を更新。収束の兆しが見えない新型コロナウイルス禍を背景に、業務逼迫(ひっぱく)は今も続いている。

   通報・出動件数最多 コロナ、猛暑で逼迫

 逼迫する救急搬送の現場で、過酷な勤務を強いられている救急隊員らの疲労も限界にきている。2022年末には、隊員の疲れが一因とみられる救急車の横転事故も発生した。

 事故は22年12月29日未明、東京都昭島市拝島町の国道16号で発生。東京消防庁の男性救急隊員3人が乗った救急車が、患者の搬送を終えて消防署に戻る途中で中央分離帯に衝突し、横転した。警視庁昭島署がくわしい事故原因を調べているが、隊員はいずれも打撲などの軽傷を負い、救急車はフロントガラスが大きく割れて走行不能となった。

 捜査関係者によると、ドライブレコーダーには事故直前、運転席や助手席に座る隊員が居眠りしている様子が映っていたという。

 ただ、隊員は事故直前まで、長時間にわたり働き続けていたことも明らかになった。

 東京消防庁によると、隊員3人は事故発生前日の28日午前9時から事故が起きるまでの約17時間連続で勤務し、計7件の出動に対応していた。救急業務の逼迫で長時間労働にならざるを得ない状況があったとみられ、運転していた50代隊員は「眠気に襲われた」と説明しているという。

 事態を重く見た東京消防庁は17日、消防総監をトップとする「救急需要等対策本部」を設置。人材確保などに組織を挙げて取り組む方針を示した。

 事故について、東京消防庁は「救急隊への負荷が事故につながった可能性は否定できない」とし、交代勤務を確実に実施して隊員に無理をさせないよう各署に通達を出したことを明かした。一方で「高い救急需要が続く中では人繰りに難しさもある。マンパワーを中長期的に増やすしかない」とした。【岩崎歩】

2023年1月18日 7時31分 毎日新聞

https://news.livedoor.com/article/detail/23552785/

 危機管理の観点から、少し耳の痛いことを話して見た。しかし、実際にそのようなことはだれも見えていないということになるのではないか。「危機」は自分の所には起きない」と思っているから、救急車が少ないということにも反応は薄いし、また、遺体を映すとか、何か究極の段階で判断するということも、できていないということになるのである。実際に、南海トラフ地震が近かったり、あるいは、台湾有事(この件に関してはオンラインサロンで連載中)などが近いとされており、日本人の中にも犠牲が出ることが予想されている状態であるにも関わらず、相変わらず「緊急事態」から逃げて、「平時の平和」というようなことしか考えられない人々が少なくないということになる。

 当然にそのような人々が多い国の「民主主義」は「クライシスに対応できない政府」しかできないし、その内容を政府に押し付けても、その責任は国民自身に戻ってくるということにしかならないのである。そのうえ、その「国民自身に責任が戻ってくる」ということを全く感じない。

 戦争の映画を見てみよう。私が良く行っているのは「戦中生まれまたは戦前だが戦中に子供だった人の作家が作った映画や作品」について、例えば火垂るの墓やはだしのゲンなど、あまり見ていて気持ちが良いものではない内容の作品である。これらに関しての特徴は「敵軍」が書かれていないということであろう。もちろん戦争の是非ということがあるが、しかし、そもそも敵は、当時はアメリカであったわけで、同じ国の国民ではない。しかし、なぜか日本人は「当時の政府」や「親切にしてくれなかった近所の大人たち」を敵にしてしまう作品を作る。単純に「生き残る」ということや「備える」ということに、全く考えていないということの表れでしかないのであるが、残念ながらそのような指摘をしている評論家もいない。要するにそれが国民性でありそこに疑問を感じないということでしかないのである。

 救急車が足りないということは、実際には救急車という「車両」ではなく、そこに従事する救急救命士が足りないということを意味している。それが国民の意思であるとは思えない。しかし、そのような状況を「疑問視しない」現在の日本人の国民性には疑問を呈する必要があるのではないか。

 もう一度「危機」ということをしっかりと考える必要があるのではないか。

宇田川源流

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