日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第三章 月夜の足跡 11
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第三章 月夜の足跡 11
平木正夫の娘です
今田陽子にとっては、その言葉が初めは何を意味しているかよくわからなかった。東御堂信仁から平木を紹介されて、もう何年もたつ。まだ自分が内閣官房参与になる前の話であり、経済産業省にいた頃、京都や関西地区の仕事をしていた時からの付き合いだ。その頃から平木はバーのマスターをやっていたが、しかし、結婚いているとか子供がいるなどと言うことは全く聞いたことがない。それどころか、これだけ長い間付き合っていながら平木のプライベートというものは全く聞いたこともなかったし調べたこともなかった。
「平木さんって、バー右府の」
「はい」
小川洋子は、まったく動揺することなく、しっかりと今田陽子の方を見て言った。その目地からの強さは、今田陽子が見た政治家などよりもはるかに強い。
「そ、それはご愁傷様です」
「いや、そんなことを言ってほしいのではないのです」
「はい」
自分が押されている感覚を感じていた。この小川洋子という女性は、何を望んでいるのであろうか。
「なぜ殺されたのかも知っています。平木の家はそういう家ですから」
「そういう家」
「はい、平木の家は、平安時代の昔から、天皇家を陰で支え、そして天皇家のために命を捨てる家柄です。ですから、今回も父はそのことで命を捨てたのであろうと思います。天皇家を支える役割は、その都度違いますが、父は情報ということでお役に立っていたようです。そして陛下と直接はできませんので、東御堂殿下や嵯峨殿下とお仕事をさせていただいていたということもうかがっております。」
「その通りです。平木さんから聞いていたのでしょうか」
「はい、一応親子ですから、」
「そこまでご存じで、私は何をしたらよいのでしょうか」
小川洋子は、その言葉を待っていたかのようにカバンの中から、手紙を取り出した。
「父の手紙です」
「平木さんの」
「はい」
「読んでよいですか」
「お願いします」
封から出して便箋を開くと、決してきれいではない特徴のある文字が、万年筆で書かれていた。
洋子へ
今、父は陛下暗殺の企てに対して天皇家を守る仕事をしている。今回の内容は、様々な敵が多く、かなり危険だ。洋子に会いたいが、そのようにして洋子に危害が加えられることは、父の望むところではない。だいたい、洋子を守ろうと思って母の姓にしているのに、このようなことを頼んでは良くないのはわかっている。しかし、父はもしかしたら死んでしまうであろう。そこで、もしも父が死んだら同封してあるファイルを、内閣官房の今田参与に届け指示を仰ぐようにしてほしい。別に死なずに生きていたら、洋子に会いに行くからその時まで中を見ずに補完しておいてくれればよい。
もう一度洋子に会いたいが、今回の事件が終わって会えるまでは辞めておくことにしよう。洋子も店には近づかないように。
もしも父が死んだら、先祖の墓参りなどもせず、平木の家を閉じてもらいたい。ファイルを届けてそれで終わりにしてほしい。
「これは」
「父はこういう人なので」
小川洋子じゃそういうとカバンの中からファイルを出した。それは少し大きめのファイル二冊であった。今田陽子はそのファイルを見ると、すぐに開いてみた。中には細かい字や写真、地図などが書かれており、その中にもしも爆破計画があった場合の爆破の予定地などまで細かく書かれていた。その他にも、中国のコミュニティや大沢三郎、松原隆志の関係先、そしてそこの名簿から、その人物の詳細なデータ。中には、カードの番号や家族のデータまですべて書かれていたのである。
「これは」
「私も見てしまいました。父には届けるだけと言われましたが、そういうわけにはいかないので。父は怒っているともいます。」
「ありがとうございます」
「あの父の娘なので、今田さんの事も菊池綾子さんの事も、青木優子議員の事も全て調べさせていただきました。信用できる方々であると思います。そして父のファイルを託せる方であると思います。」
小川は、それでも公のバーコーナーである。ホテルの中でどのような目があるかわからないし、カメラもあるかもしれない。その中での会話であるから細心の注意をはかり、そして小声で話していた。ホテルのバーの中のジャズとうまく調和するくらいに、今田陽子の耳の中に入ってくる。
「ありがとうございます」
「一つお願いがあるのですが」
「なんでしょう」
「東御堂殿下にお引き合わせ願えないでしょうか」
いまだは断ることができなかった。
「今から参りましょう」
バーを出て、そのままタクシーに乗ると、タクシーの中から電話をして、東御堂の自宅に向かった。
「君が小川洋子、いや、平木の娘か」
まだ寝疲れ中たのか、東御堂が客間に出てくるなりその話をした。
「殿下、これがファイルです」
「平木君の仕事だね」
「はい」
小川洋子は、少し涙ぐんで答えた。
「ありがとう。平木君は非常に優秀な人だった。陛下からもそのうちお言葉が来るものと思う」
「そのようなものは必要ありません」
「小川さん。もったいない」
今田が横から口を出した。
「いや、そのような意味ではありません。父は特に何かをしたわけではなく、特別なことをしたこともないと思っております。それよりも殿下にはお願いがございます」
「何かな」
「右府を再開させていただけないでしょうか」
「バーを」
東御堂は、平木から小川洋子にあてた手紙をテーブルの上において、改めて小川洋子を見た。
「はい」
「しかし、それは父である平木の言いつけを守れないということを意味しているが」
「すでに、ファイルを見てしまいましたので」
小川洋子というのは芯の強い女性である。そういえば父平木が死んだというときから、今まで、全く涙などを流していない。いや、声が奮えるようなこともなく、非常に冷静に話をしている。
東御堂は、そんな小川洋子をじっと見ていた。顔に穴が開くのではないか。それくらいの勢いである。
「バー右府を再開するということの意味を分かっているのか」
「私も姓は変えていますが、平木の娘です」
「あまり良い話ではないし、これからずっと日陰に生きることになる。」
「覚悟はできています。もちろん、バーも地下ですが」
「そういう話ではない」
「はい」
「本当に良いのか」
「父のように戦ったり、潜入したりというのは難しいですが」
「うむ。今田、君はどう思う」
今田は突然自分に話が出てきてこまった。
「今田君は女性でこの世界にいるから、意見を聞かせてほしい」
「私からもお願いします」
東御堂は小川を止めたいのに違いない。しかし、小川は止められないであろう。その雰囲気はよくわかる。
「殿下、多分止めてもこの世界に来てしまいます。平木さんには申し訳ありませんが」
「そうか」
東御堂は、にっこり笑った。
「では、バーは小川さんにお願いしよう」
「ありがとうございます」
小川洋子は、初めて眼がしらに涙を浮かべた。
「嵯峨君に私から言っておく。平木君のファイルを一緒に検討するように」
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