「宇田川源流」【土曜日のエロ】 交際禁止を打ち出した校則をNOとした裁判の「交際」の範囲は?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 交際禁止を打ち出した校則をNOとした裁判の「交際」の範囲は?
今週も「土曜日のエロ」の日になった。取り敢えず何か語る前に、まずは「今週のニュース」を見てみよう。
一つは、日本のサッカーワールドカップが、またベスト8の壁を破れなかったということであろうか。しかし、PKで敗れたということから、なかなかよくやったのではないかという気がする。そもそもサッカーを楽しめばよいという気がしないでもないのであり、そんなに上を目指す必要はない。今回日本の代表はコスタリカとクロアチアの二回しか負けていない。そのことを考えれば、「強豪に次々に勝った」ということが、ある意味で日本のすばらしさではないかという気がする。
良い例えではないが、日本という国は欧米列強を倒すということを世界の歴史で宿命づけられているのではないかという気がする。大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)においても、日本は白人世界に対して戦ったということになる。まあそのような感覚があったのかということは別にして、私が、アフリカ(確かスーダンであったと思う)の大統領に「日本だけが白人と戦って、一回でも勝った、そして植民地の多くを開放した有色人種の英雄である」という称賛を受けたことがある。
サッカーのような平和の祭典に対していきなり全く異な絵う戦争の話を出すのは良くないのかもしれないが、しかし、日本の強さというのは、どのような相手に対しても自分立つの戦いを守ることができるということではないかという気になる。
もう一つ気になるのが、「ドイツのクーデター未遂」である。これに関しては来週ブログの方でしっかりと見てみたいと思うのであるが、何しろ元貴族の「ハインリヒ十三世」なる人物が首謀者で、ドイツ帝国主義を奉賛している集団であるという。これを「保守派」という言い方や「極右」という言い方をして報じているがそもそも、「保守」なのか、または「極右」なのかということも気になるし、また、現在のドイツの政治は「極左」なのかというような位置づけもよくわからないで報じているのではないか。何か印象をつけるための操作がそこに行われているのではないか。
まさに「マスコミの印象」ということが、大きな内容になってくる。
交際で自主退学勧告は違法 堀越高校に97万円賠償命令 地裁判決
男女交際を禁止する校則への違反を理由に自主退学勧告を受けたのは不当などとして、私立堀越高校(東京)の生徒だった女性が高校の運営法人に計約700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は30日、約97万円の賠償を命じた。村田一広裁判長は校則自体は「有効」としたものの、学校側は元生徒に教育的な指導をせずに自主退学を勧告したとし、「事実上退学を強制するもので違法」と判断した。
堀越高は芸能活動に取り組む生徒も在籍することで知られる。同校は校則で「特定の男女間の交際は、生徒の本分と照らし合わせて禁止する」と規定。元生徒は3年生だった2019年11月、担任から同級生との交際を問いただされ、認めると自主退学勧告を受け、その後退学した。元生徒側は訴訟で「校則は生徒の基本的人権を制約して無効。別の高校への編入を余儀なくされ、精神的苦痛を負った」と主張した。
判決は、堀越高が生徒への生活指導を重視する独自の教育方針を採用していることなどから、男女交際の禁止を含む校則は「堀越高の生徒を規律するものとして有効」とした。一方で、生活態度がおおむね良好だった元生徒は、指導を受ければ校則を守るようになることが見込まれたと指摘。自主退学を勧告してきた慣例に従った学校側の判断について「教育上の裁量の範囲を超えて違法」と結論付けた。
学校法人は「判決を精査し、関係者と慎重に協議して今後のことは決めたい」とコメントした。【遠山和宏】
2022年11月30日 13時22分 毎日新聞
https://news.livedoor.com/article/detail/23291125/
本日のエロは、まさに「マスコミの寵児」であったアイドルを多く所属させていた堀越学園の拘束の問題である。
校則の中に男女交際を禁止する者があり、そこに違反した学生に自主退学をさせたことに対して、学校側から被害学生に対して損害賠償の支払いの判決が出た。この判決でな「校則は有効」であるが、「自主退学までさせるのはおかしい」という法的論理である。
さて堀越高校は芸能人が多かったということから、その芸能人のイメージを守るということが一つあり、そのような歴史観や、または高校の学習において恋愛関係が悪影響を及ぼすということもあったのではないか。当時の、特に80年代アイドルなどは、現在では皆おばさんオジサンではあるものの、現在のアイドルのような「人間」ではなく、美化された偶像でしかなかったので、人間らしい恋愛などがあれば、「親衛隊」と言われるような人々から攻撃をされるというような時代でもあった。そのような事から、「学校としては学生を守る意味」もあってこのような校則を作ったことは間違いがない。
同時に、このような校則があれば、所属している芸能人が「恋愛をしていないということの証明」にもなるので、芸能事務所も好んでいたということである。つまり校則の有効でいは、ある意味で「当時の必要」であったということになろう。
では、この中にある「恋愛は人権なのか」ということがいかがなものであろうか。基本的ん「男女交際」そのものは、ある意味で「自然な成り行き」ということである。実際に恋愛感情を持つことは仕方がないことであっても、その内容に対して「交際」とまで行くのはいかがなものか。ある意味で、現在は芸能人だけではなく、地下アイドルなど様々な人が芸能活動をして「見られる」事が肯定される。つまり「どこで自分がセックスシンボルとなっているかわからない」状態の世の中であり、その中においては「芸能コースが無くなった」のではなく、「全ての高校が芸能(ネット上を含む)と同じで見られる人」になったという評価があるのであろう。
さて、これを「エロ」の目線で見れば「交際」を全て「エロ」に変えてしまえばどうなるのか。基本的に「高裁はだめでも、ネット上でエロを見せる事」それも「男女が絡むのではなく単独できわどい服装(またはヌード)を見せることは校則に違反しないのか」ということを意味する。ある意味で「魅力を振りまくことを禁止する」となれば、イスラム教のようにヒジャブをしなければならない。一方で魅力を振りまくことが許されるならば、高裁に発展することもできる。もっと言えば「パパ活」などはどうなるのであろうか。まあ、さすがにその辺は校則で禁止されているのであろう。問題は「何がいけないのか」ということを、学生がわかっているかということではないか。
その辺がわかっていない、単に「校則があるからダメ」ということがまかり通るからおかしくなるのではないか。その辺のことが見えていないこと自体が人権に違反しているということが重要なのかもしれない。
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