「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 「武士の鑑」「誇りとは何か」現代平和ボケの日本人に刺さる畠山重忠の戦い
「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 「武士の鑑」「誇りとは何か」現代平和ボケの日本人に刺さる畠山重忠の戦い
毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、好き勝手なことを書いている。制作陣などに苦情を言われたらどうしようかと思っているが、まあ、それでも好き勝手に意見を言いたい部分は少なくない。それでも、今年の三谷幸喜氏の脚本に関しては、あまり注文を付けることがないというか、一つ一つ刺さるところが少なくないのではないか。見ている皆さんはどう思われるであろうか。やはり「脚本」「演出」「役者」この三者がしっかりとかみ合っているということが、見ていてよくわかるようなすばらしさではないかと思う。
さて今回は「二俣川の戦い」といわれる戦いである。吾妻鑑によれば、重忠は鎌倉に騒ぎがあると聞き6月19日に菅谷館を140騎程度で出発しており、22日午後、二俣川で討伐軍に遭遇した。自分に追討軍が差し向けられたことを二俣川で初めて知った重忠は、館へ退くことはせず潔く戦うことが武士の本懐であるとして、大軍を迎え撃つ決断を下す。そこへかつての旧友安達景盛と主従7騎が先陣を切って突入し、義時の大軍と少数の兵で応戦する重忠主従との激戦が4時間あまり繰り広げられたのち、重忠は愛甲季隆の放った矢に討たれてしまう。享年42歳。重忠に従った十社はすべてその場で自害している。
7月8日、少年の将軍源実朝に代わり、尼御台・北条政子の命により、畠山氏の所領は勲功として重忠を討った武士たちに与えられ、同20日にも政子の女房たちに重忠の遺領が与えられている。残された重忠の所領は時政の前妻の娘である重忠の妻に安堵され、妻は足利義純に再嫁して義純が畠山氏の名跡を継いだことにより、平姓秩父氏の畠山氏は滅亡した。ちなみに、室町時代に三管領の一つの家として権勢を誇る畠山氏は、この源氏系になった畠山氏、つまり、足利義純の子孫ということになる。
さてこのような史実を、三谷幸喜氏はどのように描いたのであろうか。
「鎌倉殿の13人」鎌倉版クローズZERO?異例の殴り合い 壮絶2分半!畠山重忠 義時もネットもKO
俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は18日、第36話が放送され、俳優の中川大志(24)が“武士の鑑(かがみ)”ぶりを体現してきた武将・畠山重忠の“最期”が描かれた。「畠山重忠の乱」(元久2年、1205年)のラストシーンは、主人公・北条義時(小栗)との壮絶な殴り合い。時代劇異例の“肉弾戦”に、重忠の誇りと魂を込めた。
<※以下、ネタバレ有>
稀代の喜劇作家にして群像劇の名手・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。鎌倉を舞台に、御家人たちが激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。
第36話は「武士の鑑」。深まる北条時政(坂東彌十郎)と畠山重忠(中川)との対立。りく(宮沢りえ)を信じる時政は、3代鎌倉殿・源実朝(柿澤勇人)の下文を手に入れ、三浦義村(山本耕史)和田義盛(横田栄司)稲毛重成(村上誠基)らを招集。重忠の嫡男・重保(杉田雷麟)を人質に取るよう命じる…という展開。
重忠は妻・ちえ(福田愛依)に「行ってまいる」と告げ、武蔵国を出発。鎌倉を目指した。由比ヶ浜に誘い出された重保が抵抗したため、義村たちは殺めざるを得ない。「殺らなければ、殺られていた」(義村)「坂東武者の名に恥じない立派な最期でござった」(義盛)。愛息が騙し討ちに遭ったと知った重忠は二俣川の手前から鶴ヶ峰に移り、陣を敷いた。
北条義時(小栗)は戦回避のため、大将に名乗り。義盛が単身、説得を試みたが、重忠の意思は揺るがず。重忠が鏑矢を放ち、決戦の火ぶたは切られた。
重忠は北条泰時(坂口健太郎)を狙い、義時をおびき出す。2人の乗った馬が交錯。義時の刀が折れる。2人は兜を脱ぎ、再び突進。義時は馬上から重忠に飛びつき、2人とも馬から落ちた。
義村「手を出すな!誰も手を出してはならぬ」
鎌倉方の兵が2人を囲み、重忠と義時の一騎打ち。最初は小刀で斬り合うが、すぐにボクシングのような殴り合いに。重忠が優勢。地面の小刀を拾おうとした義時の腕を重忠が踏みつける。しかし、義時が跳ねのけて小刀を奪い、倒れた重忠の首に。そこから重忠が義時の足を取って倒し、馬乗りに。渾身の力を込めた右の拳を義時の顔に見舞うと、喉元に小刀を突きつけた。義時も観念したその瞬間、重忠が振り上げた小刀は義時の顔の横の地面に突き刺さった。
重忠はフッと笑って立ち上がると、馬にまたがって去っていく。仰向けの義時は動けず、涙。唇の震えが止まらなかった。
「戦は夕方には終わる」(語り・長澤まさみ)
時政と息子・時房(瀬戸康史)が実朝に戦勝報告。重忠は「手負いのところ、愛甲三郎季隆が射止めました。間もなく、首がこちらへ届くとのことにございます」(時房)。重忠の首桶を前に、傷だらけの義時は時政に「次郎は決して逃げようとしなかった。逃げるいわれがなかったからです。所領に戻って、兵を集めることもしなかった。戦ういわれがなかったからです。次郎がしたのは、ただ、己の誇りを守ることのみ。(首桶を時政に差し出し)検めていただきたい。あなたの目で。執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ!父上!」と迫った。
「畠山重忠の乱」の合戦シーンは今夏に3日間、静岡県富士宮市で大規模ロケ。馬から落ちた後の重忠と義時の一騎打ちは最終日のラストに撮影を行い、中川はこれをもって自身のクランクアップを迎えた。
義村の「誰も手を出してはならぬ」から、重忠が地面に小刀を突き刺し、立ち上がるまで、オンエア上は約2分半。大河史に残る“死闘”を繰り広げた。
時代劇としては異例の演出・展開に、小栗主演のアクション映画「クローズZERO」(07年公開、監督三池崇史)やブラッド・ピット出演の映画「ファイト・クラブ」(1999年公開、監督デヴィッド・フィンチャー)を連想した視聴者も。
SNS上には「まさかの『クローズZERO』展開」「甲冑姿のこんな殴り合い初めて見たかも」「大河史上最高のケンカだったな……畠山殿は勝負に勝って試合に負けたのだ」「畠山重忠と義時のタイマン勝負に涙が止まらなかった。『戦など誰がしたいと思うか!』と叫ぶ重忠にも涙」「畠山重忠と北条義時の肉弾の殴り合い。なぜか『クローズZERO』を見ているような感覚…滅びる者の悲しさと坂東武士の侠気と底に流れる男同士のお互いを信じる友情が、思いきり泣ける」などの声が続出。反響を呼んだ。
9/18(日) スポニチアネックス
https://news.yahoo.co.jp/articles/24190d59169698781d90aaa3465d3950d670d944
今回のテーマは、「誇りとは何か」ということではないか。実際に、畠山重忠について、北条義時のセリフとして「次郎は決して逃げようとしなかった。逃げるいわれがなかったからです。所領に戻って、兵を集めることもしなかった。戦ういわれがなかったからです。次郎がしたのは、ただ、己の誇りを守ることのみ。(首桶を時政に差し出し)検めていただきたい。あなたの目で。執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ!父上!」<上記より抜粋>ということを言わせている。史実の中でも上記に見えるように、本当に反旗を翻すのであれば、現在の嵐山町にある菅谷館に戻り、城に籠って戦えばよいし、地の利もあったはずである。そのようなことをしなかった、また降伏もしなかったという「史実」と今回のドラマの映像がうまく重なるようにできている。
もう一つは「誇りをかけた戦い」とは「勝つこと」ではなく「心を攻めること」ではなかったか。実際に、今回の甲冑をつけての殴り合い、それも大河ドラマの中での2分30秒は、それだけの意味があったのではないか。文字通り「こぶしでわかり合う」ということは、そのような事であったのではないかということが容易に推測ができる。
そして戦いが終わった後の畠山重忠は、満足そうに笑みを浮かべ馬に乗って悠然と引き返し、そして北条義時は涙を流している。このような「男と漢の心の動き」がわかるのは、現在「ジェンダー」とか言っている人々には少し難しいのかもしれない。
その前にも、北条時政が、りくに向かって「戦を知らぬ女が口出しをするな」と一喝するところは、やはり男の世界に女性が口を出して混乱させているということを、うまく三谷幸喜氏が皮肉的に書いたのではないかという気がする。後に、このりくのこざかしさから北条時政は鎌倉を追放されてしまうのであるから、この時の時政の感はすべて当たっていたということになろう。
まさに「男の誇り」というのは何か。その一言に尽きる。その間にも和田義盛のことなどで笑いをとることを忘れない三谷幸喜氏であるが、しかし、その中に様々な仕掛けがあり、そしてその仕掛けの中から、様々な内容が書かれている。史実に従った掻き方であるが、その表現は「戦争を忌避し、相手をわかり合うことを避けている現代の人々(男)への痛烈なメッセージ」が込められているのではないか。そのように感じるのである。これは私の個人的な考えを投影しているのであろうか。
畠山重忠は、それだけ当時の人々に人気があり、また、力を持っていた。その人物を倒してから、北条時政を対序させた義時が、最も大変な人物になっている。そして、そのことを「頼朝さまから習いました」と言わせる三谷幸喜氏も、すごい。「見習った」という、現在のように教科書のない時代の徒弟制度をしっかりと書いているということになる。
この現代の様々な社会現象へのアンチテーゼ的な物語を、一気に今回見せられた気がする。それを笑いと時代ドラマの中に込めてしまうところがすごいのかもしれない。
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