日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第二章 日の陰り 6

日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄

第二章 日の陰り 6


「青山先生、お疲れさまでした」

 立憲新生党大沢三郎の政治資金パーティーに参加していた青山優子は、大沢の後援会のお歴々がたとあいさつを交わし、その後大沢の事務所の人々とともに事務作業をしていた。こんなことは大沢の秘書や事務所の人間がやればよいのであるが、大沢は、事務所の人々をあまり信用していないということもあり、結局は最終の確認は青山がやっていた。特に、政治資金の集まった金額やホテルとの支払いなどの金銭の確認は青山と大沢の秘書が行うことが慣例になっていたのである。

 金銭の確認をやるということは、冒頭に金銭を集めてしまい、その領収証を出し、同時に、ホテルとの愛仇においてパーティーの食事や飲み物の確認を行い、そして、その収入と支出を管理するということに他ならない。つまり、これ等の確認がすべて終わってから伝票に書き込まなければ終わらないのである。つまり、全ての作業が終わってから、確認作業をするので、どうしても、青山の帰りは最後になっていた。

「青山先生は御泊りにならないのですか」

「いや。帰ります」

「経費の事ならば、大沢事務所で持ちますよ」

「ありがとう、でも、いつまでも大沢事務所に甘えられないし」

 六本木飯倉片町奉天苑で陳文敏と共に会食し、大沢の口から「天皇を殺す」という言葉を聞いてから、なんとなく、大沢の「狂気」を感じていた。今までの、日本を何とかしなければならない、日本を立て直すといっていた、自分の知っている大沢三郎という政治家とは何か違うモノを感じていた。天皇が「政敵」であるならば、そして大沢三郎という政治家の目指す政策の前に立ちはだかる巨大な壁であるならば壊して前に進まなければならないということはわかる。しかし、日本において皇室というものは政治的な動きはせず、また、国民の多くの信頼と信用を得ている存在である。大沢三郎という政治家の敵でもなければ、大沢の政策に立ちはだかるものではない。同時に憲法上は天皇は日本国民の統合の象徴である。そのように考えた場合、その象徴そのものを殺すことに何の意味があるのであろうか。

 それも中国人の陳文敏と共にそのことを行っていることに、なにか嫌なものを感じていた。しかし、まだ会食をした当初は、大沢三郎という政治家には、何か自分には見えないモノが見えているのではないかというようなことがあった。後輩の岩田智也から何かがおかしいといわれていても、大沢三郎を信じていたのである。

 しかし、その直後、大沢三郎を訪ねて「時の里」に行った時、やはり何かが違う気がした。そこには極左過激派で知られている松原隆志がいた。青山は、何か薬を盛られたのか、逃げることができず、そのまま大沢と松原に抱かれる結果になった。自分としてはそんなことは絶対に嫌だった。しかし、大沢は初めから青山優子という女性に対してそのような扱いをさせるつもりで、「時の里」の呼んだのではないか。松原のタバコのヤニ臭い息が自分の肌にかかり、それから数週間消えなかった錯覚があった。

「大沢さん、これで兄弟だな」

「ああ、松原君、これでお互い裏切れないな」

「それにしてもいい女じゃねえか」

 そんな言葉がないか遠くで聞こえた気がした。そして松原がまた挑みかかってきた後はあまり記憶がない。

「若い女はいいわね」

 時の里のママである佐原歩美が、メンソール系の煙草の煙を吐きながら、女性の嫉妬と敵意を持った目で、時の里を出てゆく青山の背中に投げかけた言葉は、やはり忘れられるものではなかった。

 そんなに屈辱的な思いをしながらも、なぜか、大沢の政治パーティーの手伝いに来ていた。何故手伝いに来たのであろうか。自分でも自分自身に説明できるような理由は見つからない。しかし、なぜかここにきてしまい、そして、最後まで手伝ってしまう。今回のパーティーには、松原隆志は来なかった。さすがに、警察も多く、公安からの警戒が高い会場に、左翼過激派のトップがくることはないし、また大沢がそのような所に過激派を呼ぶはずもなかった。多分、また「時の里」に読んで、この後打ち合わせでもするのではないか。

 一方岩田智也も来なかった。天皇を殺すという言葉を聞いてから、そして陳文敏の会話に触れて、そこに来ていたのが松原隆志だと知ってから、露骨に大沢との距離をとるようになっていた。もしかしたら立憲新生党を離党するのではないかというほど、会合には顔を出さなくなってしまった。今日も、「地元の後援会から呼ばれている」ということを大沢に告げて、来なくなってしまっていた。青山優子もそのことはよくわかっていた。大沢からは、何も言われはしない。岩田の話も出なくなっている。

「じゃあ、帰るわね」

「はい、お疲れさまでした」

 どうしても、青山はホテルに泊まる気はなかった。大沢の世話になる気がなかったといった方が良いかもしれない。ホテルに泊まれば、大沢と松原が入ってくるのではないか、あるいはまた「時の里」に呼ばれてしまうのではないか。そんな女性としての生理的な拒否があった。いや、それ以上に、そこまで大沢三郎に近付きたくなかった。何か大沢三郎というカテゴリーから逃げなければならないというように、心の中の何かが強く訴えていた。

 特に車も読んでいない。ホテルに泊まるものと思っていたので、秘書も先に帰ってしまっている。秘書が居場所を知っていれば、大沢にどこにいるか知らせてしまうであろう。今日は何か一人になって、大沢の手伝いをしている自分のことをゆっくりと考えたかった。

「青山優子先生ですね」

 ホテルの車寄せに来たところで、女性が近寄ってきた。何か他に人がいるような感じはしない。

「はい、そうですが」

「先生に少しお話が」

 青山は、腕時計を見た。時間は10時を少し回ったところだ。こんな時間に、ここにいるということは、大沢三郎の関係者で、今までパーティーに出ていて、自分に話があるものではないか。

「大沢先生ならば、一緒ではありませんが」

「いえ、青山優子先生にお話が。」

「私に。でも今日は少し疲れているの」

 大沢の関係ではないのに、このような所にこの時間にいるというのは何かおかしい。しかし、大沢のことを考えていて、なおかつパーティーで疲れていた青山にはそこまで考える余裕はなかった。そう言えば、議員になってから、大沢三郎のパーティーになると、議員としての対応と、大沢の秘書的な立場としての対応、そして、終わってからの事務作業と、議員になる前よりも忙しくなったような気がする。それでも、今まではそのようなことが日本のたえになると思っていたから耐えられたが、今ではそれもよくわからなくなってしまっている。なぜ自分はこんなに疲れているのかもわからない。

「それならば、お車も用意してあります。」

「車」

「はい、よろしければ、お好みの場所までお送りします。要件は車の中でお聞きいただければ」

 青山優子にとっては、何か都合の良い話のように聞こえた。タクシーを呼んで変えるにしても時間はかかる。そもそも、このまま自宅に帰りたいと思っていない。何かこのままどこかに逃げてしまいたかった。現実逃避といえばそれまでだが、何か逃げられない所から逃がしてくれそうな気がした。

 目の前にいるのは女性だし、ちょっと派手な雰囲気はあるが、危険な感じはしない。何か、自分の今までとは違うことをしてみたいと思った。

「じゃあ、お願いしようかしら」

「はい」

 菊池綾子は、連絡をすると、黒のリムジンがホテルの車寄せに入ってきた。

「どうぞ」

 リムジンから男が出てきて扉を開ける。何か自分がセレブになったような感じで、青山優子はリムジンに乗り込んだ。

「ようこそ」

 リムジンに先に乗っていた太田寅正は、青山優子を引き寄せて中に座らせた。咄嗟に青山優子は外に出ようとしたが、後ろから菊池綾子が入ってきたので、それもできなかった。

「出してくれ」

 太田は運転手にそういうと、車はすべるように走り出した。

宇田川源流

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