「宇田川源流」 様々なハラスメントに社会的権利を増大させてしまった日本における若者の結婚観の「希薄」と「自分さえよければよい」という価値観
「宇田川源流」 様々なハラスメントに社会的権利を増大させてしまった日本における若者の結婚観の「希薄」と「自分さえよければよい」という価値観
私は、前々からなのであるが、1970年代の女性の社会進出などから1990年代クリアから男性の化粧品使用のコマーシャルの隆盛などから、「女性の男性化・男性の女性化による双方中性化による結婚観の希薄化」というようなことを訴えてきた。この内容は私のブログや、過去に書いた「新聞記事」などを読んでいただければわかるであろうから、ここで繰り返すことはしない。一応過去のブログはすべて保存(ココログの方も含め)してあるので、その変遷などに貸しては読んでいただければよいのかもしれない。
さて、それだけではなく、最近になって「女性の権利主張の肥大化」によって、女性が「子育てを放棄」するという傾向がある。もちろん「放棄」というと問題があるのかもしれないが、しかし、保育園に子供を預けてしまい自分は働きに出るというということが「非常事態」ではなくなり「当然の事」になってしまっており、また、電車などの中で子供をベビーカーに載せて、自分はずっとスマホを見ている。子供の顔色一つ見ないというのは、いかがなものであろうか。子育てとは、子供とコミュニケーションであるということを考えれば、そのそのコミュニケーションをとることができなくなっている現代の社会が、何かおかしいのではないかという気がしないでもない。
権利意識は必要であるし、また女性の権利ということは当然に、認めてゆくことは必要である。また、子育ては母親がするものであるというような固定概念もよくないとも思う。(私の家の場合は、私があまりにも子育てや家庭に不向きなので、任せたままになっているが)そこにはさまざまな家庭の姿があってよいのであるが、その「家庭の姿」の中に子供とのコミュニケーションなどは必要なのではないか。子供を主役にする場面ということ、もっといえば、女性の権利を認めるのと同じように、子どもの権利も最大限に尊重しなければならないはずなのであるが、なぜか子供に関しては「金さえ与えておけばよい」というような感じになっている。子育てが「金をいくらかけたか」という金銭換算になっている気がしないでもない。
当然に、夫婦間においても全くコミュニケーションが希薄化している。「権利」とは「自分らしく生きる」ことであると同時に「他人も自分らしく生きることを尊重する」ということであり、その尊重する「最も身近な他人」である夫婦間の理解が存在しないということがこのままでよいのかということになってくるのではないか。
ある意味で「結婚観の変化」「離婚」「子育て」などは、私個人としては「権利意識の肥大化」ということに起因しているのではないかという気がしてならない。
日本人の結婚への関心、依然高いが…男性25%・女性16%が「生涯未婚」
[New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。
今回のテーマは「結婚離れ」。
2021年の婚姻件数が戦後最少を更新するなど、「結婚離れ」が進んでいる。かつては男女とも9割超が1度は経験する人生の節目のイベントだったが、男性のほぼ4人に1人、女性の6人に1人が「生涯未婚」とされる時代を迎えている。
■婚姻件数、ピーク時の半分以下
ジューンブライド(6月の結婚、6月の花嫁)――。結婚式を考えている人なら、1度は耳にしたことがある言葉かもしれない。「6月に結婚した花嫁は幸せになれる」との、欧州の言い伝えに由来するとされる。ローマ神話で結婚をつかさどる女神ジュノーの月にちなんだとの説などが知られている。
ロマンチックな響きが印象的だが、実際には、日本では6月の結婚はそう多くはないそうだ。梅雨と重なるせいらしい。人気が集中するのは気候のよい9~11月、3~5月という。
もっとも、日本では結婚自体が減っている。厚生労働省が公表した21年の人口動態統計(概数)によると、婚姻件数は戦後最少の約50万件だった。ピークは団塊世代(1947~49年生まれ)が25歳前後となった1972年で、半分以下の水準だ。少子化による若年層の減少だけでは説明できない急減ぶりだ。
「日本人の結婚に対する価値観は、この40年間で大きく変化した」。リクルートブライダル総研の落合歩所長は語る。
国立社会保障・人口問題研究所によると、50歳までに一度も結婚しない人の割合を表した「生涯未婚率」は、1980年に男性が2・6%、女性が4・5%。それが2020年には男性がほぼ4人に1人の25・7%、女性が16・4%にまで上昇した。
仕事でのキャリアアップなど、結婚よりも、自分の時間を大事にしたいといった価値観が広まったという。さらに、かつては地域や職場の世話好きな人が縁談を持ってきたが、今や「おせっかい」扱いされかねない。
「婚活」という言葉に象徴されるように、「結婚に意欲を持ち、自分から機会をつかみにいかなければ後押しは得にくい」(落合氏)という。こうした意識の変化が、少子化による若年層の減少と相まって婚姻数の急減につながった。
ただ、海外の先進国などとの比較では、別の側面も見えてくる。OECD(経済協力開発機構)加盟の7か国を対象とした5年ごとの意識調査で、18年度に「結婚したほうがよい」とした割合は日本が50・9%だった。
前回調査よりも11・6ポイント低下したが、米国(52・7%)に次いで高く、英国(47・4%)、韓国(46・1%)、ドイツ(45・9%)、フランス(41・5%)などを上回った。逆に「結婚しない方がよい」は日本が35・4%で、7か国中最も低かった。日本人の結婚への関心は依然として高いともいえる。
直近の婚姻数の動向は長期にわたる減少傾向に、新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけた結果だ。結婚式の延期や中止、結婚自体を取りやめる人が相次いだ。外出や会食の自粛で、結婚につながる出会いや、交際の機会が失われた影響はしばらく続くとみられている。
2022年6月11日 5時0分 読売新聞オンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/22318234/
最近では「結婚しないの」と聞くことも「セクシャルハラスメント」であるらしい。まあ「結婚しない人」と「結婚できない人」の違いは外見ではわからないのであるが、いずれにせよ、「結婚しない」という選択肢が存在するということは間違いがなくその選択肢が、いつの間にか肥大化してきてしまっているということが、今回の婚姻の問題にもまた少子化の問題にもつながるということになる。
上記の私の考えのように、「結婚する」ということは、極端な言い方をすれば、自分の権利の半分を相手のために遠慮するということであり、また、子供を産んで育てるということは、その子供を中心に物事を考えるということであり、自分の権利よりも子供を重視するということに過ぎない。
このように書くと「ハラスメント」というかもしれないが、最近の新聞の社会面で見たことで言えば、子供を14時間も放置して、生後四カ月の子供が死んでしまったという事件がある。十代の母親はパチンコに行っていたということなのであるが、このことをこの権利の問題のなぞらえて言えば、「自分がパチンコをして遊びたいという権利を放棄して生後4カ月の子供の世話をすべき」ということであることは間違いがない確かに法的には「成人(18以上)がパチンコをする権利」はあるが、その権利が肥大化すれば、子供を放置するという行為につながってしまうということになる。
このようなことを書くと、「極端な例」というかもしれないが、これが現実なのである。上記にも書いたが、では、スマホを見るのであればよいのかということになるのではないか。それは議論が違う気がする。
ある程度自分の権利を制限(例えばパチンコに行くことを我慢して)子供のそばにいるというのが、子育てであり、それができないのであれば、子供を誰かに託すなどをしなければならない。そしてそれが面倒であるから、結婚しない、子供はいらないということになる。
しかし、日本の法率は「過程をもって子供がいる」という前提であり、上記にもあるように、結婚しない人はまだまだ過半数に満たないどころか、少数派なのである。
仕事でのキャリアアップなど、結婚よりも、自分の時間を大事にしたいといった価値観が広まったという。さらに、かつては地域や職場の世話好きな人が縁談を持ってきたが、今や「おせっかい」扱いされかねない。<上記より抜粋>
歴史上の人物は、自分が存在したということを、後世に名を遺すということで実現しようとしていた。そのために、様々な善行を行い、また、恥をかかないようにしてきたのである。そして「家」ということを残すとして、子供を増やし、子供に自分のできなかったことを期待するというようなことになっていた。もちろんそのようなことをして子供が負担がかかっては良くないということもわかるが、しかし、では「現在の社会的な自分の地位」だけでよいのか、ということにもなる。
もう一度「自分の権利」と「結婚と子供」ということを考えてみるべきではないか。反論は多いと思うが、少子化や婚姻数が少ないというだけではなく、現在の社会現象的な問題について、何過去の根底の部分で大きな価値観の変化で「自分さえよければよい」というような感覚が出てきたことの結果ではないかという気がしてならないのである。
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