「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 毎回誰かが死んでゆくという状態になったドラマの中での不幸な八重の死

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 毎回誰かが死んでゆくという状態になったドラマの中での不幸な八重の死


 毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関して好き勝手な言ことを言わせてもらっている。私自身は平安末期から鎌倉時代に関する小説は全く書いていないので、その点に関しては、専門家のように様々なことを調べてわけではないのであるが、一方で、その内容に関して、同じ作家として(レベルの違いはあるかもしれないが)様々な「作る立場」の感覚を見てゆきたいと思っているのである。

さて、最近の隊あgドラマは、ある意味で「北条義時」を主人公にしたことから、源頼朝が死んでからの北条義時の戦いを書かなければならないということから、従来の源平合戦やそれに至る話を、すべて「駆け足」で書かなければならない事情が存在する。そのことから、毎回誰かが死んでゆくというような状況になってしまっているのではないか。

既にこのドラマに関しては、毎回「上総広常」「木曽義仲」「木曽義高」「源義経」と毎回誰かが死んでいて、これはこれでなかなか見ごたえがある。やはり大河ドラマというのは「誰かが死んで、人の心が揺れ動くさまや、命の尊さを学ばせてくれる」ということが、非常に重要なものであり、その死に肩に関しても様々な内容が出てくるのではないか。暗殺、戦死、謀殺、そして裏切り、様々な死がそこに存在し、それぞれに様々な感慨を残すことになる。その人の死までに、様々な行き違いや誤解があり、「あの時あのようにしていれば」というような内容も少なからずでてくるのではないか。我々は、その物語をの行き先をある程度知っているのであり、その内容を三谷幸喜氏が様々な脚色を加えてわかりやすく演出してくれているのである。その演技がうまいだけに、感情の移入が大きく、またそれだけに、「○○ロス」という状況が出てくることになるのではないか。

 この大河ドラマの面白さは、単純に、戦争によって人が死ぬだけではないということである。実際に、人は生きていれば、必ず死ぬのであり、それは現代も変わらないのであるが、しかし、その死がわかっているということと、そうではなく、突然に死んでしまうということ、自らが殺してしまうというような状況まで含め、そこに様々な感情の波が出てきて、そして、その感情の波をどのように紡いでゆくのかということが大きな名内容になってくるのである。

「鎌倉殿の13人」義時留守中の悲劇…八重さんロス広がる ネット号泣「嘘でしょ」「もっと生きて…」

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は29日、第21話が放送され、大河初出演となった女優・新垣結衣(33)が新境地を開拓した主人公・北条義時(小栗)の妻・八重が天に召された。今作随一の癒やしの存在として大反響を呼び、ドラマ前半を牽引。オンエア終了後、SNS上には悲しみの声があふれ返り、瞬く間に「八重さんロス」が広がった。

 <※以下、ネタバレ有>

 稀代の喜劇作家・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第21話は「仏の眼差し」。源義経(菅田将暉)を失った奥州に攻め込み、藤原泰衡(山本浩司)を討ち取る源頼朝(大泉洋)。北条義時(小栗)畠山重忠(中川大志)らが在りし日の義経をしのぶ中、頼朝は毅然と上洛へ動き始める。一方、京の後白河法皇(西田敏行)は丹後局(鈴木京香)と今後の動静を憂慮し、来るべき日に備えていた。一方、鎌倉。八重(新垣)は子どもたちの世話に奔走。八重の明るい表情に、政子(小池栄子)も目を細めるが…という展開。

 八田知家(市原隼人)が天涯孤独となった男の子の面倒を見てほしいと義時に依頼。名前は「鶴丸」(佐藤遙灯)。八重が頼朝との間に生んだものの、幼くして亡くなった男の子「千鶴丸」に似た名前だった。

 北条時政(坂東彌十郎)、義時、北条時連(瀬戸康史)は仏師・運慶(相島一之)が彫った阿弥陀如来像を見に、伊豆・願成就院に到着。運慶と対面した。八重が預かる子どもは15人に。三浦義村(山本耕史)と一緒に子どもたちを川遊びに連れてきていた。

 「冷えてきたな」と義村が用を足しにいった間、鶴丸が川に取り残され、岩にしがみついている。「千鶴」――。千鶴丸が重なったのか。八重は果敢に川へ入っていく。

 義時たちは阿弥陀如来像に見惚れる。運慶は「阿弥陀仏は生あるすべての者をお救いになる。不思議なもんでさぁ、どことなく顔立ちが、ある人に似ちまってさぁ。教えん」。時政は「一献いかがかな?」と運慶を気に入った。

 八重は鶴丸を抱え、川岸へ歩みを進める。戻ってきた義村も川に入り、八重から鶴丸を引き取る。八重の息遣いは荒い。義村は鶴丸を運び、川辺に横たえる。まだ川の中にいる八重は安堵し、力尽きたような表情。金剛の「母上?」に、義村が振り返ると、そこに八重の姿はない。「八重さん…。八重さん!八重さん!」――。

 義村は「申し訳ない」と政子に報告。大姫は「無駄よ。助かるわけないわ。きっともう亡くなっている」と悲観的。義村は捜索に戻る時、「かわいそうだが、助かる見込みは百に一つもないな。小四郎も、ほとほと運のない奴だ」と語った。

 頼朝も加わり、必死の捜索。阿野全成(新納慎也)が祈祷も、燭台の火が消える。仁田忠常(ティモンディ・高岸宏行)が駆けつけ、政子は「見つかったのですか?様子は?」。忠常は「はい…(首を横に振る)」と無情の報告。膝から崩れ落ちた。

 義時「ふと、妻の顔を思い出してしまいました。息子の寝顔を見ている時の」

 運慶「俺の母にもよう似ておる」

 義時「お母上でしたか」

 八重は義時を見守り続ける仏になったのか。

 「あの子(金剛)のおかげで、もう一度、誰かのために生きようという気持ちになりました」(第16話、4月24日)「この地で、これからもむごい命のやり取りがあるのなら、私はせめて子どもを救いたいと思うのです」(第17話、5月1日)と自分の“使命”を見つけ、義時や金剛、子どもたちと幸福な日々を送る中、突然、悲劇が八重を襲った。

 SNS上には「嘘でしょ!?」「2週続けて号泣。八重さん…」「もう突然の出来事すぎて涙も出らん、八重さん」「八重さんは…千鶴丸の母に戻ってしまったんだね」「八重さん…(涙)。千鶴丸のお声が聞こえたのでしょうか」「金剛が鶴丸をずっと恨むんじゃないかと思うと、つらい」「そうか、八重さんの行いと、あの笑顔を『仏の眼差し』というサブタイトルに込めたのね」「千鶴丸を追って入水したという伝説を、千鶴丸が亡くなっても生きて生きて、そして千鶴丸を彷彿とさせる鶴丸を助けて川で亡くなるっていう脚本にしたのは凄い。八重さんが“生きる”人になったのがとてもよかった。だからこそ悲しい。もっと生きてほしかった」「冒頭の“罰は天が与える”の言葉が揺らぐ、信仰やまじない、祈りの無力を突きつける結末。真っ当な人たちから消えていき“こんな時、平家がおったらのう。義仲、九郎なんで滅んだ”と言い放てる御仁が長生きする『鎌倉殿の13人』の世界の“天罰”とは。悲劇と希望を体現した新垣結衣の八重さん、よかった」などの声が続出。視聴者は涙に暮れた。

2022年05月29日 20時45分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-1660539/

 さて、八重については、様々なせつがある。そもそも八重に関しては実在したのかどうかも怪しい人物であり、また、その死に関しても様々な伝説が残っている。小説や脚本ということになれば、この「実在したかどうかよくわからない存在」というのは、非常に使いやすく、そして便利な存在になる。今回の大河ドラマで言えば、今まで出てきた中では「八重」と「善児」がその二大巨頭であろう。私もそうであるが、何か自分のストーリーと史実との間になんらかの齟齬が生じた場合、例えば、突然に主人公やそれに近いメインキャストに心変わりがした場合や、資料が二つ以上あって矛盾したことが書かれている場合などは、これ等の「非史実人物(架空とまでは言い切れない)」や「完全な架空人物」または「忍者や民間人で歴史に名前が残っていない人」を使う。当時は「文明の産物」がないので、それらの内容をいかにうまく伝達し、そしてつじつまを合わせるのかということを考えた場合は、そのような人々を使う以外にはない。

私の著書「庄内藩幕末秘話」の中で、メインの主人公である「石原」という人物を作った。これは完全に「途中で殺すために作った架空の人物」であり、その死をもって主人公の心の動きを表現するとの手法を使ったのである。実際に、このような手法は少なくなく、忍者や架空の人物を生き生きと描いて、そして伏線を作り、そのうえで、その人物を殺すことによって、主人公の心の変化や歴史の変化に対応するということは十分にありうる話である。

さて、三谷幸喜氏は、この前半に八重をそのような人にしたということになる。源頼朝の子を身籠り、そして、その子を殺され、なおかつ、その後様々な嫉妬や興味の目にさらされる不幸な女性が、やっと北条義時と結ばれて幸せを手にし、そして、子供を助けるという自分の使命を見付けたという、元々不幸な生い立ちになる。その不幸な生い立ちの女性を作り、それを北条政子や源頼朝、北条義時などと対比させて描くという手法は、さすがに明暗をうまく使い分ける書き方がうまいと思う。そしてその手法の中において、「やっと幸せになった」時に、死が訪れるという「ギャップ」もしっかりとうまく書かれているところがすごい。

そのような使い方をするので、当然に視聴者もショックが大きい。その伏線として、源頼朝がわざと昔話をして心を動揺させ、また「鶴丸」という、自分の殺された子供と名前の似た子供の面倒を見ることになる。これ等の伏線は全て八重に異変が生じることを示しており、そこに、史実(伝説というか有力説の一つでしかないが)の「入水して死ぬ」ということにしているのである。ある意味で「死の場面で有力説に寄せた」形になっている。

ある意味で、「頼朝が最も頼りにしている北条義時が今後どのようになるのか」ということ、もっと言えば「頼朝の死」になんとなく伏線になるのではないかと息がするのである。

この辺の心の動きをうまく使った演出はさすがとしか言いようがない。やはりなかなか面白いドラマである。

宇田川源流

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