日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第二章 日の陰り 1
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第二章 日の陰り 1
「霞が関合同庁舎爆破テロ事件」と名づけられた事件から数カ月がたった。
「合同庁舎爆破テロ事件と名付けたのか」
嵯峨朝彦は、なんとなく不満げであった。尚公会のサロンでは、いつものように東御堂信仁と向かい合って座っている。
「いいのではないか。やはり警察も政府も、マスコミも、皇居爆破とはなかなか言いにくいところであろう。その意味では、犠牲者数も多いし、合同庁舎テロの方がわかりやすい」
少し薄めの水割りを飲みながら、信仁は言った。
「そんなもんですか」
「ああ、それに我々も、合同庁舎に多くの人が目を向けている方が動きやすいのではないか。邪魔が入らないだろう」
「まあ、そうですが」
嵯峨朝彦は言葉を濁した。
事件後警察は、警察の威信をかけて犯人逮捕に向けて捜査を行った。爆弾の灰から火薬の種類をと規定するところまでは行ったもののの、その後操作は行き詰まってしまった。爆破テロが起きた日に、二人の作業員が皇居前にいたことまでは、目撃談が一致しているが、しかし、この時は天皇が葉山の御用邸に行っていて、警備体制が緩くなっていたこともあって、その目撃談の収集もうまくゆかなくなってしまっていた。何しろ、皇居周辺のカメラの多くは爆発の衝撃で使い物にならなくなっていたし、また、そのカメラの位置をよく知っているのか、その二人が全くどのカメラにも映っていなかったのである。
「警察は何をやっているのだ」
爆弾の特定まではできたものの、その情報はマスコミに流されることはなく、またマスコミが得意なカメラ映像などは、警察からの正式な発表には入っていなかった。マスコミは人海戦術的に、当日その近くを通行していた車のドライブレコーダーなどを漁っていたが、トラックそのものの映像などはみえているものの、二人の作業員に関してはほとんど情報がなかった。唯一、それらしき人物が丸の内の公園のトイレの方に歩いている後姿が小さく映っている映像があっただけであった。そのような状況であるために、警察に対する批判が日ごとにマスコミを中心に出てきている。
犠牲者が多かった合同庁舎の方も、道路にまでカメラの撮影範囲が及んでいなかっために、トラックを止めた人がはっきりと映っていない。それもスーツ姿の人しか映っていないので、トラックからスーツ姿の官僚的な人物が出てきたのではないかというような推定で捜査が進んでいるようであった。その後の衝撃や怪我人の大佐から、ほとんどの人はトラックを見ていても、全くその内容が見えていない。「多くの人が見ているはずなのに、日常の中にまぎれて何の証言も得られない」という状態で、操作は完全に行き詰まっていた。
「警察は・・・・・・。」
もちろん東御堂信仁もそのことはよくわかっていた。しかし、嵯峨朝彦は、警察の捜査状況を言わないわけにはいかなかった。
「官邸の今田陽子が逐一しらせてくれている。まあ、朝彦も同じものを聞いているのであろうから、ここで改めて言う必要もないが」
「はい」
「こちらの調査はどうなっている」
「はい、青田君がしっかりと調査しています」
「まだしっぽは出さないみたいだが、中国人の陳、立憲新生党の大沢、そして左翼の松原、この三人が首謀者であることは間違いがないはずだ」
東御堂信仁は、そういうと、水割りの飲み干し、空いたグラスを嵯峨朝彦の方に突き出した。朝彦は、半分夕陽でオレンジ色になったグラスの中の氷を見ながら、そのグラスに新しい氷とウイスキーを注いだ。夕陽のオレンジとウイスキーの茶色は、似ているようで少し違いがあるのか、そのグラスの中には、夕陽とウイスキーの斜めになった縞模様ができていた。嵯峨朝彦は、その縞模様を一瞬見て、少し笑顔を作りながら、その上から水を注ぎ、縞模様を壊すようにかきまぜた。
「朝彦」
嵯峨の作った水割りを手に取りながら、深いため息をついた。
「天皇を守らなければならない。問題は陳や大沢、そして松原の背後にいる何かだ」
「というと」
「要するに、其の三人は何故天皇を殺さなければならないというような価値観を持ったのか。その元凶がわからなければ意味がない。多分三人を処分することはそれほど難しいことではないし、それが我々であるということを覚られないようにすることも、それほど難しくはないだろう。しかし、その背後にある元凶となる何かがわからなければ、第二、第三の陳や大沢が出てくる」
「はい、そうなります」
「そこが問題なのだ。単純に個人的に天皇を好きではないということを思う人がいても、それは天皇という存在がそのような存在なのであるから、わからないではない。権威を好きではない人は個人的に嫌いになるということはおかしな話ではないのだ。しかし、その人々が、何故か爆弾を持ち、そしてその爆弾を使って御所だけではなく、日本の国民を狙うということは可なり異常な事態なのだ。」
東御堂は、そのように言うと深くため息をついた。
「それは、何か大きな力があってそこが日本を狙っているということでしょうか」
嵯峨朝彦はなんとなくぼんやりと、東御堂信仁の言おうとしていることはわからないではなかったが、しかし、そのことが、はっきりと自分の中に明確な答えとして存在しているわけではなかった。その明確な答えを知りたかったのである。
「そうなのかもしれない。しかし、そうではないのかもしれない。調べてみなければわからないということになるのである。しかし、もっとも最悪な場合はを想定した場合どの様になるか考えてみよ。現在権力を持っていない天皇を殺さなければならないという事の意味は、どうなんだ」
「はい、その場合は、今回のようなことが続きます。いや、権力を持っていない人を殺すということは、そのまま、その権威を信じている人すべてを敵に回すということに他ならないということに・・・・・」
嵯峨は、そこで言葉を止めた。それ以上は言う必要がなかった。
「わかったら、陳と、大沢と、松原の接点だけではなく、そのつながりから、その背後にある何かをみきわめよ」
「はい」
嵯峨は、東御堂を尚公会に残して、席を立った。
東御堂は、嵯峨の夕陽でオレンジ色になった背中を、何も言わず見送った。
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