「宇田川源流」 普段は意見の存在と言いながら危機になったら「助けてくれ」という共産党の「ご都合主義」を許すな
「宇田川源流」 普段は意見の存在と言いながら危機になったら「助けてくれ」という共産党の「ご都合主義」を許すな
共産党の志位和夫委員長の発言がおかしい。面白いという意味ではなく、避難に値する発言であって呆れるしかないという意味である。ある意味で「常軌を逸している」としか言いようがない。
「共産党の志位委員長は7日、党本部での会合で、ウクライナ情勢を踏まえ、『急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬくのが党の立場だ』と述べた。他党からは、自衛隊の解消を掲げる共産党の綱領と矛盾しているとの批判が出ている」(4月8日 読売新聞朝刊)
普段は、自衛隊を射違憲といい、なお勝自衛隊のあらゆる行動を全て妨害してきた共産党の委員長が言った言葉である。
政治家というものは、基本的に言葉で仕事をしている。何か大きな違いがない限りにおいて、政策を180度変換するなどということは許されない。このような話は「ご都合主義」であり、なおかつ「批判のため」「ポジショントーク」として非難されるものでしかない。今回の内容であれば、今の今まで「自衛隊は違憲」と言いながら、「主権侵害が起きた場合は自衛隊に守ってもらう」という謎の事を言い出す始末。
この事は、「憲法9条があれば戦争はない」と言いながら、「主権侵害が起こった場合」というように、「9条神話」も一緒に否定したのである。もっと言えば「ロシアに行って平和を訴える」などのこともすべて否定しているということになるのである。はっきり言って、今までの党の綱領も、今までの政治主張も、共産党の綱領も全てを否定したということになる。
通常、これが共産党以外でこのようなことがあれば、支持者からの非難がはいり、なおかつ国民からの支持率が一気に下がり、信用を失うという結果になるのである。しかし、共産党の場合、既に宗教的になっており、現在自分たちの生活が悪いのは保守系政治家やアメリカ民主主義の陰謀というような感覚を持っており、なおかつ、既に支持率は底辺に入っているのである。その為に、そのような非難は来ない。それどころか、志位和夫委員長の後ろに、何か得体のしれない存在があるかのような感じであり、組織としておかしくなってきているので、志位委員長に対する非難に繋がらないのではないかといわれているのである。
自衛隊巡り維新が共産党批判
志位和夫共産党委員長の「急迫不正の主権侵害が起こった場合は自衛隊を含めあらゆる手段を行使する」との発言をめぐり、日本維新の会が14日の衆院憲法審査会で、共産党批判を展開した。
維新の馬場伸幸共同代表は「自衛隊を党綱領で違憲と虐げつつ、都合のいい時だけ自衛隊に頼るとはあきれる」と批判。「有事に個別的自衛権の範囲で自衛隊を活用するならば、はっきりと合憲と認めたらいかがか」と迫った。
これに対し、共産党の赤嶺政賢氏は「常備軍は必要ないと今も考えている」と述べ、自衛隊は憲法9条に反するとの立場を強調。その上で「憲法9条の完全実施に向け、国民の多数の合意で自衛隊問題を段階的に解決していく」とした。その過程で急迫不正の侵略が起きた場合には自衛隊を個別的自衛権の範囲内で活用することは問題ないと説明した。 【時事通信社】
2022年04月14日 18時11分 時事通信
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-1578748/
さて、ではなぜそのようなことを言ったのであろうか。
一つは、枝野幸男立憲民主党前代表と「甘い夢」を見たということであろう。単純に言えば、共産党は、数年前まで「確かな野党」というようなことを言い、初めから政権奪取などということを考えていないような状況であった。しかし、枝野に誘われ、何を言われたのかよくわからないが、政権ということが目に入ってきた時点で、何かが変わったのではないか。
なお、マスコミの政治記者などを含め、昨年の総選挙の時点で立憲民主党と共産党が共闘して戦ったとしても、政権を奪取するというような感覚は全く無かった。一時「これとこれの条件が合わさった場合には、もしかしたら」というような状況で言われたことがあったが、麻生副総裁の「立憲共産党」という言葉の威力、そして連合が共産党との教頭を望まなかったということを事前に調整しなかったということにおいて、基本的には敗北が確定していたということになる。
そのうえ、その総選挙において惨敗したにもかかわらず、そして枝野幸男代表は辞任したにもかかわらず、共産党の方は全く責任を感じることが無く、そのまま現在に至っているということになるのである。つまり、共産党の支持者は、中国共産党や北朝鮮の労働党に支配されている両国の国民のように、何があっても、また政治において決定したことがあれば、何の疑問も持たずにそれに従ってしまうというような「独裁を許す気質」ということになっている。ある意味でそれが「共産主義」というものなのではないか。
その為に「身勝手な論理を許し、論理性も何も関係がない」というような状況で政治をするなどということはさすがに無理であろう。まあ、このように共産党の支持者を含めて、かなりおかしな話になるということになるのである。
さて、このような決断になったということは、共産党は「自衛隊を合憲と認める」のか、あるいは「自衛隊を肯定するように憲法を改正する」というような選択肢を取らざるを得なくなったということになるはずである。しかし、共産党に対する批判に対しての回答は、「憲法9条の完全実施に向け、国民の多数の合意で自衛隊問題を段階的に解決していく」<上記より抜粋>というような状況になっているということになるのである。まあ、そもそも共産党という組織に論理性を求めること自体が間違えている呂いわれればそのものであろう。人間の心理や人間が人間であることを否定しなければ、マルクスのいうような共産主義には到達しない。そもそも心理があるということが見えていて、「共産主義の理想を信じる」ということを掲げながら「唯物史観」を唱えていること自体が「国民を感情のない機械と思っている」ということに他ならないのではないか。その辺のことも気が付かない人々が、共産主義者であるということになる。
正直に言って、まともに相手にすることが間違えているというようなことを言われるかもしれないが、しかし、日本は民主主義でありなおかつ、共産党がこれだけ矛盾に満ちていながら議席を保っている、つまり、投票する人がいるということなのである。本当に、政治の論理性を考えて、投票するべき相手を考えるべきではないかと思うものである。
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