日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 14
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第一章 朝焼け 14
「ごめんください」
荒川は、道路上で何人かの警察官に、道を聞くふりをしながら声をかけ、その後に松原のアジトである建物の中に入っていった。「新宿紅旗教会」と書かれた建物は、昭和40年代に建てられたかなりの年代物で、築50年というところであろうか。古い建物の特徴として、壁が厚く、また扉は鉄でできていて非常に重たい感じがする。一方で天井が低くまた妙にコンクリートの感じがあるのが特徴だ。
「あいつ本当にはいていったよ」
樋口義明は、自衛隊時代から愛用している小型の片眼鏡をポケットにしまうと、誰に言うでもなくそのように呟いていた。
荒川が声をかけた警察官は、すぐに無線機で他の警察官に連絡を取っているようで、そこにはすぐにしふくのけいさつかんとおもわれる人が数名集まっていた。そのような集まりがいくつかできて見ていると、その後、すぐにいくつかのカメラが動き出した。私服の警察官の中には、教会と書いた建物のすぐそばまで出向くものもいる。しかし、彼らは決して中に入ろうとしない。
「まあ、日本の警察はそんなもんだよな」
樋口は、ある意味で自嘲気味にそう言うと、もう少しそのばで眺めていた。
「それにしても荒川はすごいなあ」
改めて、教会の入口の方を見た。中の事は全くわからない。しかし、それでもなんらかの動きがあることは確からしく、建物の裏口から、何人か、人が入っていった。そしてその中の一人が、裏口の所で別れて、これから樋口外交とした焼き鳥屋に入っていったのである。
「こっちも仕事するか」
樋口は、そのまま赤い提灯に灯りがともった焼き鳥屋の中に入っていった。
焼き鳥屋「赤鳥居」は、かなり古びた焼き鳥屋であり、なかなか味がある。古いレトロな居酒屋の番組などに出てきそうな場所であることは間違いがない。
「いらっしゃい」
もう70歳といったところであろうか、頭に手拭をまいた男が声をかけた。
「お客さん、初めてかい」
「ええ、この辺に引っ越してきたもんで」
「そうですか、まあ、空いているところといっても、全部空いているんだが、好きな所に座ってください」
「はい」
初老の男は、その見た目の年齢に関わらず、何か運動でもしているのかかなり筋肉がついている腕を、半袖のポロシャツから出したまま、目の前の焼き鳥機の炭を起こしていた。
「悪いねえ、ちょっとここの火が着くまでは待ってくれるかな」
「いえ、こちらこそすみません。店の開いたばかりに入ってしまって」
「いや、いいんだよ。客が来る前に火なんてもんは起こしておかなきゃなんねえ」
初老の男は、白髪交じりの角刈りの頭をこちらに向けたまま、口だけが開いている。荒川の情報では、この男の名前は野村昭介というらしい。元々は、学生運動でもナンバー4か5に入っていた人物で、かなりの武闘派であったということである。しかし、その武闘派が還暦を迎えて足を洗い、そしてこの場に焼き鳥屋「赤鳥居」を開いたという。当初警察などもかなり注目していたし、また、実際にこの店の中に多くの「左翼の闘士」というものが来ていた。また一方で考案の連中が来て、様々な話をしているというようなこともあったらしい。何とか情報を引き出したかったのであろう。しかし、この野村昭介という男は全く何も言わず、ただ普通に焼き鳥屋を営業しているだけでしかなかった。
そういえば、先ほど教会の裏口から出てきた男が、この店の中にはいない。この目の前の初老の男の口がうまいからそのことを忘れていたのか、あるいは、この男が教会の裏口から出てきた男そのものなのであろうか。
しかし、さすがに店に入ってすぐ、目の前の男が誰なのわからないうちにそのことを聞くわけにもいかない。
「さあ、お客さん、何する」
「取り敢えず瓶のビールとレバーをたれで焼いてくれますか」
「レバーかい、通だね」
「そうですか。いやいや、レバーが好きなだけですよ」
樋口はそう言うと、目の前に出された瓶ビールを、自分のグラスの中に入れた。瓶のビールを入れたのは、目の前で栓を抜いてもらえば、少なくとも薬などは入れられないという理由からである。向こうで作るものは、何を入れられてしまうかもわからない。そもそも初めてかと聞かれたくらい、この店は常連客しか来ない、少なくともこの男はその常連客の顔と名前は覚えているということである。ということは、自分は間違いなく警戒されている存在であることは確かであろう。いきなり薬を盛られることはまずないとはいえ、警戒をして間違いはない。
「親方は、ここは長いのですか」
予備情報はたくさん持っているのであるが、一応この辺に引っ越してきて初めて入るという触れ込みである。何でも聞いてみなければならない。
「いや、10年くらいかな。」
「そうですか、それまでは会社員か何かで」
「ああ、会社員、いいねえそれ」
「その言い方は会社員ではなかったという感じですか」
「そうだね、今でいうところの団体役員という感じかな」
「そうですか」
「お客さんは」
「ああ、私は会社員ですよ。運送の営業をしています」
お通しといわれる突き出しは、小鉢が二つ、きんぴらごぼうと可児蒲鉾のマヨネーズあえである。樋口は、まずはきんぴらごぼうの方を手を付けた。
「運送会社ですか。それならば昔はいろいろなところにいったでしょう」
「はい、いろいろな所に行かされました」
樋口は、そう言うと、またビールを口につけた。そして準備をしてきた運送会社の名詞を取るふりをしてカバンを取った。カバンの中から盗聴器を取り出すと、自分が座っている椅子の裏側に取り付けた。
「これが名刺です」
「ほう、樋口さん。私は野村といいます。野村昭介」
「野村さんですか」
「どこか今度、地方に言ったら、おいしいものを紹介してください」
「はい」
そう言うと、樋口はあと4本、焼き鳥を注文した。
「ところで、この辺はずいぶんと警察官が多いようですね。何しろ、大型バスが止まっているところなんてなかなか見ないですからね」
あえて、樋口はそのような聞き方をした。警察官が多いということならば、そもそも、警察のバスが止まっているところなどは、日常的ではない。そのように考えれば、この質問ならば素人でもできるものである。
「そうだね、警察のバスが止まっているなんてのは、中国大使館くらいかね」
「この辺は何かあるんですか」
「気になるかい」
「はい、何しろ引っ越してきた場所が警察が多いというのもね。何しろ我々トラック会社からすれば、警察は敵ですから」
「確かに、そりゃ違いない」
野村は何か面白そうだった。
「いや、うちの会社が何か悪いことをしているわけではないんですよ。でも、なんでもない所でスピード違反とか、積載オーバーとか。あれじゃ、仕事にならないんで」
樋口は一生懸命にあやしまれないように言った。何よりも、信用を得ることが最も重要である。そしてその為には共通の敵を作ることが重要である。
「そうだね、あいつらは何もしていなくても突然やってきて、人を捕まえに来るんだから。まあ、日本最大の暴力団だからな」
「最大の暴力団ですか」
「そうだろう」
さすがに樋口も、新しく出てきたネギまを食べながら笑った。
「いや、ここのすぐ裏に、左翼団体の本拠地があるんだ。それで、警察さんは一生懸命に監視しているみたいですよ。樋口さんのお仕事の交通課とはちょっと分野が違うみたいですから、安心してきてくださいよ」
「そうですか。その左翼団体の本拠地っていったい何ですか」
「それは・・・・・・」
野村は、そこまで言うと、一瞬、店の入り口の方に目をやった。
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