「宇田川源流」【日本万歳!】 11年経っても忘れないでこれからの命につなげるという日本人の魂

「宇田川源流」【日本万歳!】 11年経っても忘れないでこれからの命につなげるという日本人の魂


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや日本人が賞賛されているところを揚げ、その内容に関してここで改めてピックアップして、その解説を、蛇足だながらもつけさせていただき、その中で日本人がどれほど素晴らしいかということを書くという連載である。

 もちろん、同じ内容で批判すべきところもたくさんあることは十分に承知している。「うまくいかなかった」「もっとよくできた」ということは、そのまま日本人の向上心として、そこから新たなものが生まれ、日本の知恵や技術が生まれてくる。しかし一方でそのように「よくなかった」ところばかりを上げても意味がない。実際に批判ばかりしている人が政治をとってもうまくゆかなかった例があるように、うまくゆかないところばかりではなく、よかったところもしっかりと評価できなければ、全体の発展はないし、その正当な評価がなければよかった部分もすべて壊してしまうということになるのである。

 そのように考えた場合、日本人は何かというと自分たちのことを卑下してしまうので、その部分を除き「評価する部分」をしっかりと見てゆかなければならないのではないか。

 さて、話は変わるが、先週の金曜日3月11日は、あの東日本大震災の津波被害から11年経過した日である。この日は日本中が「慰霊の日」ということになる。

 もちろん、多くの人がなくなり、また原子力発電所の事故などもあって、この件に関しては、多くの反省点や改良点が見つかったと思う。そもそも津波の警報をもって早く出していれば、もっと多くの人が助かったかもしれない。堤防にあまり頼りすぎて配下値狩ったのではないか、などのその現場の内容もさることながら、その後の電源の不足やインフラの整備不足、自衛隊投入における補給の問題、心理的なケアの問題から、風評外の問題まで、様々な問題が多く挙げられていたのではないか。

 しかし、逆に「日本だから素晴らしかった」「日本だからこれだけの被害で済んだ」ということも十分にあり得る。例えば、震災後の暴動などが全くなかったのは日本人のすばらしさであるし、日本全国から義援金や支援物資が届くのも日本ならではではないか。このように考えると、日本であったから評価できるということも少なくないのではないか。10年を経過し、ゆっくり1年かけて考えてみると、様々な事が見えてくるのではないかと思う。

「東日本大震災」発生から11年 各地で記憶を伝える行事

 東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で11年です。年月の経過とともに、教訓をどう語り継ぐかが課題になる中、各地で犠牲者を追悼し、記憶を伝える行事が行われます。

 死者・行方不明者2万2200人超

 2011年3月11日の午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10メートルを超える津波が押し寄せました。

 警察庁などによりますと、これまでに確認された死者と行方不明者は1万8423人となっています。

 また、長引く避難生活で体調が悪化して死亡するいわゆる「震災関連死」に認定された人は、復興庁と各都県によりますと今月10日現在で3786人とこの1年で11人増えました。

 「関連死」を含めた死者と行方不明者は2万2209人にのぼります。

 避難者3万8000人余

 避難生活を余儀なくされている人は、減少が続いているものの復興庁のまとめでは先月の時点で3万8139人となっています。

 人口減少続く 帰還目指す動きも

 人口減少も続いています。

 震災と原発事故で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県の40自治体のうち、震災前と比べて人口が10%以上減った自治体は全体の半数以上の28にのぼっています。

 すべての住民の避難が続いている福島県双葉町ではことし6月に一部の区域の避難指示が解除される予定で住民の帰還の開始を目指しています。

 孤立をどう防ぐか

 財政的な支援も減少する中、住民の孤立をどう防ぐのかが課題です。

 宮城、岩手、福島の災害公営住宅で、誰にもみとられずに亡くなる『孤立死』は去年1年間で72人に上っています。

 震災の発生から10年が過ぎた今年度、見守り活動などを行う各市町村の社会福祉協議会は財源や人員が減ったほか、新型コロナウイルスの影響で交流の機会も少なくなっています。

 “話題にすること減る”

 記憶と教訓をどう語り継ぐかも課題になっています。

 NHKが岩手・宮城・福島の沿岸と原発事故による避難指示が出された地域に住む人にWEB上で行ったアンケートでは、去年と今とを比べ、震災を話題にすることに変化があったかについて

▼「増えた」が7%、

▼「変わらない」が38%、

▼「減った」が45%などとなっています。

 自治体の中には、発生から10年が過ぎたことや、新型コロナの影響を理由に、これまで続けていた追悼式を行わず、献花台を設ける形式に変えたところも多くあります。

巨大地震・津波想定も教訓語り継ぎが重要に

その一方、被災地も含めた国内では地震と津波の脅威が切迫しています。

 去年12月には北海道から岩手県にかけての沖合にある「千島海溝」と「日本海溝」での巨大地震と津波の国の被害想定が公表され、最悪の場合、死者は▽千島海溝で10万人▽日本海溝では19万9000人に上るとされました。

 改めて11年前に何があったのかを知るとともに、記憶と教訓を伝え続けることが重要となっています。

2022年3月11日 4時05分  NHK

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220311/k10013525161000.html

 私は、日本人は、「日常の中に防災や様々な危機管理を詰め込み、それを日常の常識として取り入れてしまう」という特別な内容を持っている。避難訓練など、わざわざ行わなくても、3・11の時の釜石のように「てんでんこ」ということで、普段から様々な言い伝えとして残っていることや、あるいは震災や災害を話題にした昔話などもたくさんあるのではないか。

 「備える」「ためる」ということは、日本人の特性である。また「口承伝承として残す」ということも、日本の中では様々な事が残されている。そして「地蔵」「神社」というような形で残りまた地名などでしっかりとその歴史を残しているのである。

 3・11では、それらの内容と「近現代の開発による利便性」ということから、うまく機能しなかったことも少なくなかったかもしれない。しかし、私の著書「震災後の不思議な話」(飛鳥新社)の中にも書いてあるが、それらの言い伝えや伝承が多くの人を守ったというのは、科学以上に言い伝えを守った東北の人ならではの事ではないのだろうか。

 当然に、これらのことに関して、多くの人が様々な内容を残しているし、また幽霊などの怪談話として読ませるものもある。また、11年経って、多くの語り部が、震災に関してまたは避難生活に関してしっかりとその日本の足跡を残して語り継いでいってくれているのではないか。

 犠牲になった方もいる。しかし、生き残った人もいる。

 生きた人は、生きること、そしてその経験を語り継ぐことによって、次の世代そしてその次の世代へと、「同じ過ちを繰り返さない」「犠牲者を減らす」ということに大きく動くようになっているのではないか。そのことこそ、日本人の生きる知恵の原点なのではないか。

 何度もここに書いているが、日本人の場合、その死生観から、このような非業の死を遂げた人々が、どこかから見守っていてくれるというように思っている。では「見守って何を期待しているのか」ということになった時に、やはり「自分の子供や孫が幸せになるように」と願っているのであろうし、同時に、自分のように非業の死を遂げないようにどこかで守ってくれるというような習慣がある。

 何か非業の死を遂げた(この3・11などに限らず)場合、それを祀ることによって、同様の事故から身を守るお守りになってゆく。にほんじんは、「人祀る」「祈る」ということで、「過去の失敗を繰り返さない反省と、そうならないようにするための発展」を誓っているということになるのではないか。

 この「日本人の祈り」ということが、なんとなく理解できたときに、日本人の祈りの意味が見えてくるのではないか。自然を受け入れ、その自然の中にいながら、人間としてできることを行って発展させ、非業の死を遂げないように祈る。この日本人の考え方があるから、震災後に暴動もないし、逆に「助け合う」歴史が作られたのではないか。

 この震災や福島原発のことを、政争に使い、海外に嘘をばらまくような元首相がいる一方で、東北の人々は頑張っている。それが日本人のすばらしさなのではないか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000