日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 13
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第一章 朝焼け 13
東京都新宿区にある松原の「アジト」といわれる場所は、警察大型バスの警察車両が数台配置されており、そのほかにも私服警官と思われる人など、何人かが「見張り」としてそこに配置されていた。ある意味で、ものものしい警備というのは、このようなことなのであろうと改めて見て取れる。
「こんな警備なら、この周辺の人たちはどう考えているんだろうな」
樋口は、少し離れた喫茶店に入り、なんとなくつぶやいた。
「樋口さん」
そこに現れたのは荒川であった。この荒川という男、元商社マンであるというように言われているが、実態はよくわからない。何か不気味な雰囲気を持つが、その表情の明るさや、小太りな体型から、なぜか、あまり警戒されていない。人間が容姿によって徳をしたり損をしたり、その容姿でイメージがあるという事があり、それをうまく利用している人物である。
「荒川さん。どうしてここに」
「この辺で、あまり警察にも、公安調査庁にも目を付けられないでゆっくり待機できるのはここか、もう一軒の喫茶店くらいしかありませんから」
なるほど、その通りである。樋口も、かなりこの辺を歩いたが、たしかにここ以外にゆっくりと座っていられる場所はない。夜になれば、いくつか個々人店の焼き鳥屋などはあるのかもしれないが、しかし、そのような個人店の経営者が、松原とつながっていないとも限らないのである。その点、チェーン店の喫茶店であれば、ある程度は安全であろうということもある。もちろん、樋口も荒川も、尻尾をつかまれるようなへまはしないと思っているが、しかし、逆に松原の関係、つまり極左暴力集団の関係であれば、何をするかもわからないのである。
「で、どうしてここに」
「そりゃ、話し相手ですよ。一人で喫茶店でおじさんが商談でも何でもなくいてはおかしいじゃないですか」
荒川の言うとおりである。この男は、なぜかこのような気づかいや怪しまれないということは非常にうまい。その上、なぜかいろいろなところに入り込んで、友人を作ってくるのである。何か不思議な人間だ。
「まあそうだな」
「それに、この辺の見取り図、そして、あの向こう側の焼き鳥屋酉吉の主人の経歴」
そこには、すでに団塊世代の焼き鳥屋の店主の顔写真と経歴が出ている。その経歴の所に、学生時代学生運動を行っていたという項目が赤のペンで印がついていた。
「これは」
「ここで飲んでいれば、彼らの内容は見えるでしょう。ただ、樋口さんは言ってはいけないと思いますよ。」
「なぜ」
「そりゃそうでしょう。奴らもこちらの情報位は取りますよ。樋口さんが元自衛官なんてことは、知られていると思った方がいいでしょう」
確かにそうだ。このような時は自分だけが知られていないと思っていては良くない。知られているという前提で入る混むということは、外国の駐在武官になる時の研修でたたき込まれたはずだ。
「ではどうしろと」
「この焼き鳥屋に、盗聴器を仕掛けましょう」
荒川は、何事もなかったかのように言った。
ちなみに、日本の場合、盗聴器を仕掛けるだけであれば、実は法律に違反しない。もちろん、盗聴器を仕掛けるために家の中に無断で入ったり、あるいは、その盗聴をした結果を公開した場合などは、住居不法侵入などの罪になる。しかし、盗聴そのものは実は犯罪ではないし、それを取り締まる法律もない。そもそも「盗聴」というと、刑事ドラマなどの関係で、電源タップなどに盗聴器を仕掛けて遠隔地で聞いているなどのことが想像されるが、実際には、契約交渉などで相対していて、自分のカバンなどに盗聴器やICレコーダーを入れてその会話を録音しておいてもそれは犯罪にならない。「盗聴」という行為が、このような文字になっているから、ドラマなどの影響のように思われてしまうのであるが、実際には、盗み聞きや本人の了解なしに録音する行為が全て盗聴という定義に含まれるのである。そのように考えた場合、実は盗聴そのものを取り締まることは、録音できる機能を持っていてはいけないということになってしまうのであるから、それうぉう率で縛ることは難しいということになってしまうのである。
そのようなことから、電波によって盗聴音声を拾える「盗聴器」は普通に市販で購入することができる。もちろん、電波法の問題があり、あまり強力な電波を発することはできないので、盗聴の音声を聞くことのできる範囲はかなり限定されるということになる。
荒川は、そのような盗聴器の中でもかなり性能の良いものと、少しアンテナの大きな機械を、黒いなんでも入りそうな大きなカバンの中から二つ取り出した。
「要するに、俺に盗聴器を仕掛けろというのですか」
「そういうと思って、この機械をお持ちしました」
アンテナの大きな機械の一つを差し出した。
「これは」
「盗聴器の発見器」
「なに」
「そりゃそうでしょう。これだけの近所に、こんな経歴の人間が焼鳥屋をやっていれば、警視庁の公安も警察庁の公安も、公安調査庁も、また他の右翼団体なんかも、当然に、盗聴器を仕掛けているはずでしょう。ということは、樋口さんが仕掛けなくても、これをうまく操作すれば、彼らの仕掛けたマイクから音声が拾えるということになります」
確かに、この荒川という男の言うとおりである。つまり、盗聴器とその受信機は、それがうまくいかなかったときの予備ということであり、こちらは「盗聴器」を「盗聴する」ということになる。
樋口は改めて、荒川の顔をまじまじと見た。丸顔で若く見える顔は、とてもそんなことを考えるような人間には見えない。先日の京都の会議でも、全くそのようなことはおくびにも出さず、ただ黙っていた。しかし、東御堂信仁がバー右府の平木マスターを信頼しているように、嵯峨朝彦は、ずいぶんとこの荒川義弘という男を信頼しているようであった。
なるほど、この男ならば、それなりに何かするに違いない。人は見かけによらないとは、このことであろう。
「で、荒川さんは、この盗聴の仕事を俺に任せて何をしようというのかな」
「あの、アジトの中に入ってこようと思っています」
「えっ」
樋口はさすがに驚いた。まさか、敵のアジトの本部にそのまま丸腰で入ってゆくような人間がいるであろうか。
「いや、あそこよく見てください。あの建物、一応教会と書いてあるんですよ。ということは、キリスト教に帰依したいとか、宗教に興味があるから話を聞きたいといって入ってゆけば、別段拒否されませんよねえ。」
そういうと、荒川は先ほどの大きなカバンの中から、警備会社のパンフレットを取り出した。
「宗教に興味があるといって話を聞きながら、その内に、自分の本性を出汁て警備会社のパンフレットを出す。そして、監視カメラなどを売りつけるという感じで。もちろん売りつけられるかどうかはわかりませんが、それだけの話をさせてもらえれば、まあ、何かわかることは少なくないですから」
本当にこの男は何を言い出すのかよくわからない。まあ、そのような感じだから嵯峨朝彦が気に入っているのであろう。
「そこで、その間に俺があっちで話を盗聴するということか」
「はい、そうしていただければ、うまくゆけるのではないかと思いまして」
「しかし、それではそのまま拉致される可能性もあるのではないか」
「いやいや、あれだけ警察がいるのですから、事前に声をかけながら入れば大丈夫でしょう」
「なるほどな」
樋口は、呆れながら相槌を打った。この荒川という男はかなり大胆でありながら、それなりにしっかりと計算していることはよくわかった。その上、自分が外にいれば、もしも何かあった場合も助けに来てくれるという計算もあるのだろう。
「よし分かった。じゃあ、俺は盗聴の方をやっておくよ」
「お願いします」
荒川は大きなカバンを下げると、伝票をもって会計の方に向かった。
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