「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 歴史的解釈から見て「通説ではないキャラクター」を描くことによるドラマの深み

「宇田川源流」【大河ドラマ 鎌倉殿の13人】 歴史的解釈から見て「通説ではないキャラクター」を描くことによるドラマの深み


 毎週水曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について話をしている。このブログでは、基本的には政治の話などをしているのであるが、この水曜日は歴史小説作家とか、歴史マニアとして、平安時代末期から鎌倉時代の初期の話を、私の思うように書いてみるというのも面白いので、このまま連載を続けさせていただいている。もちろん、私は今年の「鎌倉殿の13人」という大河ドラマは、視聴者として見ている以外には何の関係もない。しかし、作家として様々な作品を書いていると、「私ならば次はこうする」などと思うことは少なくないので、そのようなことを中心に書いていると思っていただいた方がよいかもしれない。

 さて、今回の内容はなかなか面白かった。というか、各キャラクターの性格付けが非常に面白いということになる。

 SNS上では、今回の内容で「史実と違う」とか「思っていたキャラクターと異なる」などというような話が少なからず上がっているのであるが、実際に、そのような人々も「本人」つまり八重であったり、源義経、源頼朝などと会ったことなどはないのである。誰かが以前に書いた本や語られている歴史の中から、自分でイメージして、自分の頭の中で膨らませた妄想の産物が、今回のドラマの中で三谷幸喜氏、または大河ドラマのスタッフが描き出したキャラクターと異なるというだけの話でしかないのである。

 もちろん、史書といわれる本の中には、性格を物語るようなエピソードも存在する。しかし、人間というのは、必ず二面性以上の多面性がある場合がある。もちろん「多重人格」などというような精神病的内容ではない。我々もそうであるが、例えば普段は几帳面な人が疲れていて何かを補たまたま放置してしまうということもあるし、また、普段はやさしい人がたまたま虫の居所が悪いなどということもある。そのような意味で人間は必ず多面性が存在するということになる。同時に、「偉大な功績を残した人」が「性格的にも素晴らしく、また、聖人的な行動をとっていた」とも限らない。戦争で勝った人がサイコパス的な事でもおかしくはないのである。

 ある意味で、人間というのはそのようなことだから楽しいのである。偉大な人が皆聖人君主で、ダメな人がみなみを持ち崩しているというのでは、人間界などは全く面白くない。

 ただ、昨年の「青天を衝け」の最終回に、渋沢栄一の子孫の方が「一つだけ言えることは、栄一は、ドラマで見るようないい男ではなかったと思います」ということだけは、ドラマで役者がやっているだけに、その通りなのかもしれない。

「鎌倉殿の13人」これが“菅田義経”本格登場にネット沸く!残忍+無邪気「ヤバい奴」「異常にかわいい」

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は27日、第8話が放送され、俳優の菅田将暉(29)演じる天才武将・源義経が本格的に登場した。不意打ちの残忍さと、本能のまま寄り道するような無邪気さが同居。SNS上には「ヤバい奴」「サイコパス」「異常にかわいい」などの声が相次ぎ、予想外の新しい義経像がいきなり注目を集めた。「菅田義経」がツイッターの国内トレンド(午後9時、30位)に入るなど、反響を呼んだ。

 <※以下、ネタバレ有>

 ヒットメーカーの三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。新都・鎌倉を舞台に、頼朝の13人の家臣団が激しいパワーゲームを繰り広げる。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑む。

 第8話は「いざ、鎌倉」。挙兵した源頼朝(大泉洋)を討つため、追討軍を送る平清盛(松平健)。後白河法皇(西田敏行)は地図を広げ、丹後局(鈴木京香)らと戦況を占う。一方、奥州を出発した源義経(菅田将暉)は、兄・頼朝との対面を夢見て歩みを進めていた。その頃、坂東。“坂東の巨頭”上総広常(佐藤浩市)らを加え、勢いづく頼朝が、鎌倉を目指して進軍。頼朝の命を受けた北条義時(小栗)は、武田信義(八嶋智人)を味方に引き入れるため、再び甲斐へと向かう…という展開。

 富士山も見える野原。弁慶(佳久創)ら引き連れた義経が兎を射止めると、野武士(慈五郎)が現れ「待て。それは俺の兎だ」と言い争いに。義経は矢の飛ばし合いを提案したと思いきや、至近距離から隣の野武士に矢を放ち、殺める。冷酷な一面が垣間見える側から、無邪気に「そうだ。富士の山に登ったことがある人?行こう!まずは富士の山だー!」と寄り道も。

 そして、一行は伊豆山権現の付近へ。弁慶が近くの家から芋をもらってくると、義経は「みんな、食え!ご馳走だー!」。皆がうまく取れないと、義経は芋に箸を刺し「うまい」。食べ終え、鎌倉へ向かって歩き始めると「何のにおいだ?(潮の香りに)海が見たくなった。行くぞー!」と逆方向に走っていった。

 番組公式サイトに「性格は欠点ばかりだが」と紹介されている今作の義経像がついに明らかに。

 SNS上には「とんでもねえ義経を出してきたな」「義経君、無邪気にヤベえな」「もう今回だけで義経がヤベー奴なのが良く分かる」「義経の奔放さ、残忍さが印象的」「冒頭の義経に震えた。こんな義経、初めてなんだが」「芋を突く所作でさえ怖いと思う義経」「富士の山の次は海。気まぐれな源義経」「御曹司って言われてるけど、既に端々に育ちの悪さが出てる義経って新しいパターンだな」「義経の描き方が今までのドラマとかなり違う。戦いの既成概念を覆す悲劇の天才軍略家というより、のちに頼朝や御家人から疎まれる、ルールなど関係ないサイコパス気質な義経像。これは期待できる」「昨年の『鎌倉殿の13人』のオンライン会見で、大泉洋は菅田将暉の義経について『異常にかわいい。下手したら若干ガッキーよりかわいいんじゃないかって』と語っているが、確かに異常にかわいい」などの声が続出。反響を呼んだ。

2/27(日) スポニチアネックス

https://news.yahoo.co.jp/articles/28e07efb1f16ec9910362dce9cf5f32d23c39c34

 さて、今回いくつかの伏線が出されていた。同時に「源頼朝(大泉洋)」の軍が集まり、徐々にそのキャラクターや「烏合の衆」とされる豪族連合が出てきているということになる。その集まりの中には「坂東武者」といわれる「荒々しい、雅ということからは遠い存在」があり、その内容がうまく出てきていたのではないか。

 平家が「平宗盛(小泉孝太郎)」の用意する討伐軍に対して、様々な問題が出てきているのに対して、頼朝の軍は膨れ上がってゆくということになる。ちょうど現在の「官僚が様々な先例やしきたりに戸惑っている間に、先例などは関係がない民間の方が先んじて様々な事を行ってしまう」ということを皮肉ったような書き方になっている。

 そのほかにも、北条政子(小池栄子)の鎌倉入りを一日ずらすということで、「その日は寅の日なので、主君に不慮の事故が」というようなことが少し言われた。これは、今年の後半になると思うが、源頼朝の落馬による不慮の死ということに、つながるのではないか。まあ、そこまでは読みすぎなのかもしれない。

 そして、話題になったのが源義経(菅田将暉)であろう。

 私のような作家であっても、源義経という人物は計りかねる部分がある。もちろん英雄なのであろう。そして、一の谷の合戦の鵯越や、壇ノ浦の八艘飛びなど、「常識」が通用しない人であったということになる。ある意味で「天才」という者はそういう人のことを指すのであり、常識にとらわれた人が、常識の通りに動いていて、先が読まれることに対して、常識という枠の外に存在する「真実」と「合理性」を求めて、最短距離を進むということになる。結果がよく出たときは天才というが、しかし、その結果が出なかったときは、「空気が読めない」とか「非常識」というようなことを言うものである。

 今回の源義経は、そのような「非常識な天才」を描いている。ある意味で、る人でありながら源氏の棟梁として雅を求めている源頼朝と、一方で東北にいて(本来それより前は京都近郊で育って牛若丸の逸話を残したはずなのであるが)野生児的に育った源義経との間において、そして、粗暴ではあるが筋目を通す坂東武士との間に、様々な軋轢があるというような伏線を引いている。

 もちろん、その他にも、政子と亀の前(江口のり子)の対立もあるが、これはまた別なところでも書くことになるのではないか。

 このような伏線があり、それをキャラクターを際立たせて、その伏線が必然であるように書くということがなかなか面白い。

 

宇田川源流

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