日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 6
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第一章 朝焼け 6
京都環境国際大学の1101号室には、大人たちが集まっていた。その机の上には「古代京都環境研究会発起委員会」と書かれた資料が配られていた。
「お揃いかな」
「いや、まだ首相官邸の今田陽子さんがご到着になっておられません」
「まだ時間も早いし、少し待ちましょうか」
議長席に座っているのは、石田清名誉教授と名札がかかっている男である。石田清はここ京都国際大学の名誉教授で、数年前までは京都大学で神話史学を専攻していた、日本の特に京都の歴史の第一人者である。元々は、史学が選考であったが、石田の師である日本の歴史学の大家である千川雅彦が、通常の史学と、都市計画や伝統などを含めて特に京都や奈良など古都を中心に天皇や皇室に関する学問を行うということを提唱し、国学院大学や皇学館大学などの神道を教える大学と組んで「神話や皇室の歴史と地理を研究する学問として「神話史学」を開設したのであった。石田清はその千川雅彦が亡くなった後、神話史学を引き継いだ千川の弟子である。
「神話史学」とは、それまでの歴史学が「歴史を科学する」というような、科学的実証性を重視してきていたのに対して、神話など、それらの文献を重視し、また、民俗学的な伝承や口承、民間芸能のようなものを重視して、それを「正しい」または、少なくとも現代まで伝える価値があった内容であるというように意味付けて、そのうえで、その内容が「伝わる」ということを中心に考える歴史学である。
今回は、その「神話史学」が中心になり、現在の京都という町のあり方や観光などに関して、その内容を考えるという物であり、歴史を観光や街づくりに利用するということで、京都府や京都市が中心になってこれらの学会を立ち上げたのである。
「すみません、車が混んでいたもので」
今田陽子が入ってきた。京都府の要請に応じ、政府がこの勉強会に対して補助金を付けることになった。そのために、政府からも出席するということになったのである。本来は国土交通省や官公庁、または文化庁などから入ることになるはずであるが、今回はまだ発起委員会ということであるから、内閣官房から今田陽子が参加したのである。今田陽子は、昨日はバー「右府」で嵯峨朝彦などと話をしていたが、そのついでに、この学会に参加したということである。
「いや、わざわざ内閣官房から参加いただきまして」
石田清は、業界第一人者という割には、全く偉ぶった態度はせず、今田陽子を立って迎えた。石田の隣に座っていた山崎瞳は、慌てて立ち上がると、今田の横に立ってカバンを持ち、そして席に案内した。
「ありがとう」
「いえ」
今田はその席に座ると、すぐに資料のページを開いて席を見回した。一ページ目には、ロの字に切られた枠に座席表のように参加者の名簿が書かれている。
今回、今田が石田名誉教授に注文を付けたのは、中国の歴史を学んでいる人や遣隋使や遣唐使など、中国からの伝来した情報を研究している学者を入れて欲しいと注文を付けたのである。建前としては「日本の古代の文化は中国からの影響を受けているから、中国と日本の古代史を切り離して研究することはできない。」という物である。
平安京は、当然に当時の中国の都である長安や洛陽の街を模範にしており、また仏教などもその影響を多分に受けている。神話そのものまですべて入っているかは別に考えるにしても、何らかの影響があることは、今田くらいの歴史の知識でもわかる話である。
一方、当然に裏の目的もある。昨日まで会議をしていた「天皇暗殺計画」についてであろう。情報によれば、京都の大学が何らかの計画を立てているという。もちろん、この史学に集まった人々が直接関係があるとは思えないものの、何らかの情報が入ることは期待できるのである。
そのように考えてその人選を石田に任せた。もちろん石田に裏の目的などは話していない。そう思ってみてみると、関西中華大学の徐虎光教授と大阪国際亜細亜大学の吉川学教授が入っている。徐虎光といえば、関西地方の中国人の集団である日籍華人連盟の理事で関西支部長を行っている事でも有名であり、また、関西キー局のテレビコメンテーターとしてもたまに出てくる人物である。
関西一の中国通であり、中国から帰化したことで、様々な場面で好感が持たれているが、実際は、中国側の命令で動いているのではないかというようなうわさもある。ある意味で要注意人物であろう。またもう一人の吉川学は、常に左翼的な考え方をいい、学問の自由と思想信条の自由を振りかざして、左翼的でも活動などを先導する大学教授として有名である。関西の左翼勢力である共産革命連合関西支部の支部長で、あの松原隆志率いる日本紅旗革命団とのつながりも噂されている。
それにしても、「神話史学」というような、日本の天皇の神話を研究する石田清が、このような左翼志向の人物や中国系の大学教授と繋がりがあり、自らの学会に呼ぶことができるというのもなかなか興味深い。石田清も、その先代に当たる故千川雅彦も、いずれも政治思想的には保守系の大学教授であるとみなされていたはずであったが、学問ということになると、このような正反対の政治思想の人々とも組むことができるというのは、学問の場というのは面白いものである。今田は、自分のことながら、このような場を設けた発案を良かったと思っていた。
「石田先生、お揃いになりました」
「そうか、まだ定時までは10分ほどありますが、お忙しい方が御揃いなので始めましょうか。異議のある方はいらっしゃいますか
「いや、異議なんてありませんよ」
温厚そうな声を上げたのは、徐である。中国人の富裕層や、中国の大物政治家が、自分より上級者がいない時のような、何か余裕があるものの含みのあるような笑みを湛え、少し中国人の話す日本語のような「訛り」を交えながら、話をした。もちろん、その眼光は鋭く、目の奥は全く笑っていない。その目は、一度石田の方に向かっていたが、すぐに今田陽子を上から見下ろすように見てきたのである。
しかし、今田には不思議にその目つきが気にならなかった。もちろん、内閣官房に努めるという事から、そのような目で今田を見る人物は少なくない。内閣官房のような場合は、そのような目よりも、女性として物欲しそうに、丁度毒蛇が絡みついて舌を出してくるような不快感を伴った、性的ないやらしい目見るような人も少なくないのである。
まあ、目つきだけでセクハラとは言えないし、そのようなことを言っていては官房などというところで仕事などはできない。そのために、今回の徐教授の目つきは、今田は反射的に「そのように思うならば、どうやって利用しようか」というような感覚になってしまう。もちろん、ある意味で職業病であるし、またある意味でそのようなことになれてしまったということが言える。
しかし、それ以上に気になるのがその隣に座る吉川学の敵対心の籠った指すような視線である。今田にしてみれば、どこかで感じたことのある視線である。「ああ、そういえば」と思い出したのが、大沢三郎代議士が、自分たちを見る目である。もちろん、大沢の視線の先にあったのは、総理になった阿川慎太郎に対してである。しかし、大沢の目は、その敵対心の籠ったまま、その近くにいた今田にも向けられたのである。まさに、あの目と同じである。今田は何か背筋に悪寒が走るのを感じた。
「いや、そうですね。早めに始まって早めに終われば、少しお茶を飲んで帰れますから」
その今田の悪寒を和らげたのが、町田直樹である。一応京都府の観光産業局の局長ではあるが、なんとなくほんわかした雰囲気のある田舎のおじさんという感じである。そしてその隣に座る細川満里奈という資料をたくさん持った職員。多分これが、観光とか、あるいは石田清教授の要望に応える「京都府側の頭脳」なのであろう。官僚というのは、責任者と実質的に仕事をする人が異なる。それは、霞が関の官僚でも、また京都府でも同じなのであろう。
さてさて、と思い、少し深いため息を吐き出すと、今田は上着のポケットにあるスイッチをONにした。
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