「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 現代の男性が憧れる「できた嫁」を演じた橋本愛さんの演技が素晴らしい

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 現代の男性が憧れる「できた嫁」を演じた橋本愛さんの演技が素晴らしい


 毎週水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」について、私の機になるところや、歴史的な内容を書いている。

 さて、この時代、というか幕末を描く中で、もっとも大きな存在は「西郷隆盛」であろう。この西郷隆盛の書き方ひとつで、幕末は良くも悪くもなる。ではなぜ西郷隆盛はそこまでの英雄なのであろうか。実際に西郷隆盛というのは、「自分の正義感」を必ず持って動いていたと考える。今回の中でも一つなかなか面白いセリフがあった。

 「近ごろ思うとじゃ。左内殿や平岡殿と慶喜公を将軍にと働いちょったあんころが一番よかったっち。おいが動けば、こん国はもっとよか国になっち、信じちょった。」

 もちろん、渋沢栄一お家に突然西郷隆盛が入ってきて、二人で酒を酌み交わすということは、ドラマの中の創作であろう。しかし、西郷隆盛という人物は、ある意味でこのような「神出鬼没」で、なおかつ「様々な人に分け隔てもなく自分の能力を出しながら、どこか権力などとは乖離した正義感を持っている人物」ではなかったかという気がしてならない。

 この「権力とは乖離した正義感」は、西郷隆盛が指示した春日潜庵や、その春日潜庵の盟友である備中の山田方谷が日本国内で大成した「日本版の陽明学」ということにその起源をもつことができるのではないか。ある意味で「朱子学的な価値観」があれば、そこに組織的な忖度が働くが、陽明学の場合は「心即理」であり、なおかつその心を常に清らかに保たなければならない。この幕末から明治職には山田方谷の弟子である川田甕江や三島中州がその内容を継承し、三島中州は現在の二松学舎大学においてその精神を受け継いでいる。当然にその三島中州が抗議した時にその話を聞いた渋沢栄一も、「義理合一」ということから「論語とそろばん」を書くのである。

 その西郷隆盛が、明治政府に最も反発した人間でありながら、明治天皇が最も愛した男であった。まさに、その明治天皇が愛したということだけでも、その正義がわかるのではないか。忖度のない正義ということが、この時代にどれほど重要であったかよくわかる。

 なお、私地震、「庄内藩幕末秘話」で、西郷隆盛と四條隆謌の会話を、創作で入れている。もっともこの時代を正確に写し、政府を批判することができたのは、西郷隆盛ひとりであったからに他ならない。

 そのような意味で、西郷隆盛とは別に、やはり陽明学が欲しかったに違いない。そこで岩倉具視も大久保利通も、大蔵卿に山田方谷を推挙した師、川田甕江や三島中州が、東宮侍講を勤めたのもうなづける。

「青天を衝け」冒頭5分で修羅場…千代に同情集まる

 17日に放送された大河ドラマ「青天を衝け」(NHK総合ほかにて放送)第31回の冒頭で、吉沢亮演じる主人公・渋沢栄一とその妻・千代(橋本愛)を揺るがす事件が勃発し、SNS上では千代に対する同情が多く寄せられた(※一部ネタバレあり)。

 第31回「栄一、最後の変身」では、栄一ら大蔵省の面々が、日本で初めてとなる銀行づくりに乗り出すなかで、独自に銀行を作りたい豪商の小野組、三井組を相手に苦戦。終盤では栄一がまたしても大きな決断を下すさまが描かれた。

 とりわけ話題を呼んだのは冒頭5分。栄一のもとに手紙が来ると、栄一は血相を変え千代に「話がある」と切り出した。そののち、栄一の子を身ごもった女中の大内くに(仁村紗和)がやってきて、謝罪するくにと栄一を、千代は「共に暮らし子を育てましょう」と受け入れた。

 しかし、その直後に千代が一人になると大きなため息をつき、「懐が深い」「器が大きい」と同情の声が寄せられた。

 くには、大蔵省で働く栄一が大阪造幣局へ出張していたころ、三井組の三野村利左衛門(イッセー尾形)が設けた宴席で働いていた女中。夫が戊辰(ぼしん)戦争に出たまま行方知れずとなったため、女中として生計を立てていると言い、栄一の穴の開いた靴下を修繕したのをきっかけに親密な仲に。栄一が帰宅すると、千代はすぐさま栄一の靴下をかがった赤い糸に気を留めていた。

 ところで民間の合同によって銀行をつくろうとする栄一だが、なかでも三井組の三野村利左衛門とは相いれず、結局は立場の強さを利用して栄一の思うままに事が運ぶが、三野村利左衛門が苦々しく放った一言で、栄一はかつて故郷で百姓を苦しめていた岡部藩代官・利根吉春(酒向芳)を自身と重ねることに。やがて、栄一は「俺の道は官ではなく民だ」と身を改めることとなった。(編集部・石井百合子)

 

10/18(月) シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/5970cd9b26ebd98bb356a4db7450438813ae5f1d

 さて、第31回「栄一最後の変身」では、富岡製糸場ができる。そしてそこに渋沢喜作が戻ってくる。最後まで徳川慶喜に忠誠を立てて、彰義隊を組織し、彰義隊が分裂してしまった後に、振武軍を作って反応で戦争をし、尾高惇忠などが血洗島に戻ったのちも、函館で最後まで戦争をしていた渋沢家の人間である。この最下位の場面もたぶん捜索であろうと思うが、しかし、実際にこうであったであろうと考えられるものではないかと思う。それほどしっかりとした会話ではなかったか。

 「なぜ死ななかったのか」「なぜ死んで来いといったのか」そして「生きてきてよかった」この複雑な心境は、たぶん当人しかわからないモノなのであろう。しかし「恥という概念」では死ぬべきであったが「親族として」は生きていてくれてよかった。というこの感情は、ある意味で当然親族ならば誰もが持っている勘定ではないか。そのことをこのドラマは見事に描いていた。

 その渋沢喜作の帰還だけでもすごいのに、今回のすごさはやはり、渋沢千代を演じた橋本愛さんであろう。何しろ開始早々「浮気」どころか、その浮気相手が子供が生まれるということになり、その女性くにが来てしまう。これが民放の恋愛ドラマならば、ここから修羅場が始まるところであろう。しかし、そこは全く違う話になる。

 「そうですか…お前さまのお子が…それなら、おくにさん。おくにさんもおなかのお子も、ここでともに暮らせばよいではありませんか。お前さまのお子です。ともに育てましょう。」

 まさに浮気をしてしまった男性にとっては、これほど素晴らしい対応はない。もちろん女性側の気持などは全く考えていないが、私のような男性にとっては、こんな女性ならばうれしいと思うことは間違いがないであろう。もちろん、まだ江戸時代の気風が残り、武士の中には、妾をとるところも少なくない状態であった時代の話で、このまま現代にはなしをもっていってはよくないのであるが、しかし、それでもこの懐の深い対応には、日本の男性の憧れがあるのではないか。同時に日本の女性がすべてこのように懐が深ければ、そして、くにのように、その本妻を立てるということを知っている女性ばかりであれば、男性はもっと働けるのであろうなどと、現在のジェンダーの雰囲気とは全く異なる発想をしてしまうのは、間違いなのであろうか。

 ちなみに、戦国時代のドラマではないのに妾を書くのは、NHKとしては異例であろう。しかし、この国の生んだ子供が、尾高惇忠の子供と結婚し、その孫が、現在の「青天を衝け」の音楽の指揮をしている尾高忠明氏である。要するに、指揮者の曾祖父の物語であり、そしてその祖母のが生まれた場面が、まさに、このくにの生んだ子供ということになる。NHKにしてはなかなか粋な計らいではないか。

 今後、徐々に現代に近くになってくる。その内容をどの様に書いてくるのか。非常に楽しみではないか。

宇田川源流

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