「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 オリパラ後の再開は血洗島での家族の再会という人間関係を丁寧に描いたドラマの妙

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 オリパラ後の再開は血洗島での家族の再会という人間関係を丁寧に描いたドラマの妙


 久しぶりに、大河ドラマ「青天を衝け」の内容である。まあ、オリンピック・パラリンピックも、日本中を熱狂させたものであり、もちろん重要な日本のイベントである。そのために、中止は仕方がないのであるが、しかし、毎週見ているドラマが中断されるというのは、やはりなんとなく気になる。何回も書いているが、オリンピック前が「江戸時代」そしてオリンピックとパラリンピックの間が「戊辰戦争」そしてパラリンピック後が「明治時代」となっている。その明治時代の一回目が今回である。

 さて、江戸時代の第一回と、後半の第一回である今回、渋沢栄一の出身地である武蔵国血洗島、現在の埼玉県深谷市から始まっている。そして、そこにいる家族や一族と共に、始まるということが出てくる。現在我々もそうであるが「自分の原点」と居場所がある。その場所が渋沢栄一にとっては「血洗島」であったのであろう。

今年私が上梓した、山田方谷伝についても、「父母の場所」つまり、備中松山城の城下ではなく、その田舎の西方、またはそこに近い長瀬、そして母の故郷である小坂部というようなところが、自分の原点であり、本来の居場所ではない松山や江戸などからは早々に引き上げている。

我々もそうである。テレビの番組で「アナザースカイ」というものがあるが、まさにその番組のように「自分の感じる原点」というものがあるのではないか。

 そのような「ある意味で成功者となる人物が感じるアナザースカイ」を血洗島としたドラマの作り方は、なかなか素晴らしい。そこに渋沢栄一が立った瞬間に、過去のいろいろなことを思い起こさせる造りだ。

ドラマというのは、何も「回想映像」ばかりではなく、このように「同じ土地を使って、その風景や家、樹木というようなもの」を映すことによって、視聴者それぞれに「回想させる」演出はさすがに大河ドラマであると思う。そしてそれを促すように「国破れて山河在り」と渋沢栄一に言わせている。少々蛇足的なところもあるが、そこまで感じられない人には良かったのかもしれない。

 とにかく「どこから始まり、何をさせるのか」というところに「家族」ということと、原点ということを強く意識させた内容で花なかったか。


<青天を衝け>栄一と千代の美しい再会から! 放送再開に視聴者「待ってた…」 開始数分で「号泣」

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第26回「篤太夫、再会する」が9月12日に放送され、6年ぶりに故郷・血洗島に戻った篤太夫(栄一、吉沢さん)と、千代(橋本愛さん)ら家族との再会が描かれた。

 ドラマは3週ぶりの放送再開。再会シーンは開始から数分で訪れ、菜の花畑で篤太夫が娘のうたと妻の千代を抱きしめる姿に、SNSでは「お千代ちゃん、うたちゃんとようやく…!!」「千代ちゃんよかったねぇ」「菜の花イエローがきれい」「なんて美しいシーン」「吉沢亮くんがまぶしすぎます」などの声が視聴者から上がった。

 さらに「うう…初っぱなから泣ける」「もう泣ける」「めっちゃ鳥肌」「再会に号泣してる」「今日の青天、開始5分から号泣なんだけどー!」「青天クラスタにとってもおかえりでただいまで…涙」「久々の青天…ホントおかえりだよ…待ってた…」といった感想が書き込まれた。

 第26回では、血洗島に戻った篤太夫は、千代、父・市郎右衛門(小林薫さん)、母・ゑい(和久井映見さん)らと再会を喜びあうが、尾高家に起こった悲しい出来事を知って大きな衝撃を受ける。その後、昭武(板垣李光人さん)から預かった書状を届けるため、慶喜(草なぎ剛さん)が謹慎している駿府に向かう篤太夫。駿府藩の中老・大久保一翁(木場勝己さん)にパリでの収支を報告し、慶喜との謁見を願い出る……という展開だった。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

9/12(日) MANTANWEB


 先に、今回のドラマの後半の話をしてしまおう。徳川慶喜と会って「無念で枯れてしまった慶喜」と「これから日の出の勢いになる渋沢栄一」の対比は見事であった。無言であっても、存在感のある草彅剛さんの演技は、その前でよくしゃべる渋沢栄一役の吉沢亮さんの演技との対比が素晴らしい。

「過去の主役」と「明治になってからの主役」の「静」と「動」という描きから、最後に「無念でございましたでしょう」そして、何も言わずに去る慶喜。ドラマであると若いながらも、実際にこうであったのであろうというような印象を与える見事な演技であった。

 それ以上に素晴らしかったのが、血洗島のシーンだ。尾高長七郎の死、その死んでいるのに回想シーンでは何回も出てきて渋沢栄一を励ます。「生きて役にたつ」ということを伝えるシーンは、本当に素晴らしい。渋沢栄一の心の中を、渋沢栄一ではなく、尾高長七郎という、自分が昔あこがれていた仲間に言わせて、その内容を心に刻み込む。

例えは陳腐であるが、ダイエットなどの映像で自分の中の天使と悪魔に会話させているような、そんな映像の作り方を行いながらも、それも「自分の原点」を意識した作り方しているのが印象的である。

 そして、妻の千代との6年ぶりの再会である。実家である尾高家は、長七郎が死に、また、渋沢家に養子に来た平九郎も飯能戦争で戦死している。そのような中で渋沢栄一の妻として、しっかりと渋沢家の留守を守った千代との再会は、本当に涙が出てくる。

私もいろいろと経験しているので、その中でのことがいろいろと思い出させる作りだ。今回のドラマの作りは、まさに「視聴者が視聴者の経験や感じ方の中で、その内容を自分に重ね合わせて人生を投影する」作りというようになっている。

 大河ドラマというのは、当然に時代劇であり、歴史の流れをドラマ化している。しかし、その内容はあくまでも「ドラマ」であって、史実をドキュメントしているわけではない。

当然に現代の人々に現代の課題を「歴史の人物に投影して考えさせる」というメッセージ性があるというのが普通である。その中で「家族を大事にする」「忠誠心や道理を大事にする」または「原点を持つ」ということなどを今回の内容では出てくる。当然に「生きる」ということの重要性なども書かれている。それらのメッセージがあり、その内容を直接言わせるのではなく、自分の経験の中で、そのことを感じさせるというやり方は非常に素晴らしい。渋沢栄一のように「戦争に生きた人」ではなく「経済に生きた人」であるからできるドラマ手法なのではないだろうか。

 これから、駿府で株式会社を作り、慶喜など旧幕臣を経済的に救うようになる渋沢の活躍が楽しみである。

宇田川源流

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