「日曜小説」 マンホールの中で 4 第三章 8
「日曜小説」 マンホールの中で 4
第三章 8
トゥルル、トゥルル
泥棒にとって、朝早く、それも電話で起こされるようなことはない。夕方以降に、待ち合わせなどで遅れた時に、無線などで言われたり、あるいは、本人が来て「ずらかるぞ」といわれるようなことはあっても、温かいベッドの上で、固定電話の音で目が覚めるような、そんな普通の目覚めを迎えることはなかったので、この音に関してはあまり慣れない事でしかなかった。
次郎吉にとっては、何か久しぶりの休みであったような気がする。それでも、なぜこんなに忙しかったのか、全く休みがなかったのか、そんなことは、全て記憶の中にはなかった。
次郎吉にとっては、まだ布団の中のぬくもりの中で、自堕落に時間を過ごしたい、そんな欲が体の中を駆け巡っていたが、そのようなことが許されないような気がする。しかし、眠りの夢の中にほとんどの記憶を置いてきてしまっているので、なぜ自分が動かなければならないのか、自堕落なことを続けていてはいけないのか、全く本人にはわかっていなかった。
そもそも、自堕落な生活をするために泥棒になったのではないか。泥棒に芸術性を感じ、なおかつその泥棒に生きがいを感じたのは、泥棒を始めたからであって、そもそも自分は何で泥棒になったのであろうか。そういえば、一番初めは高校時代の記憶ではなかったか。友人と御多分に漏れず少し悪ぶっていた。成績もそれほど悪くはなかったし、不良といわれるような感じでもなかったのであるが、しかし、それでも何か流れで悪ぶってみたいと思ったのである。
そのように中途半端に何かを行うと、魔がさすものである。その時に警察に補導され、特に注意されただけで逮捕されるようなことはなかったものの、その時に次郎吉の中の何かが崩れたのである。もともと、親を早くに亡くし、叔父の下で育っていた次郎吉にとって、家出をすることはさほど罪悪感などはなかった。そして、その叔父などの意思に沿うように、規律正しく、品行方正な生活をすることにも疲れていた。次郎吉は、そのまま家を出て、一人で暮らし、生活のために泥棒を行ったのである。
元来それほど頭が悪いわけでもなく、また突き詰めて考える性格であったことから、徐々に「生活のために泥棒をする」ということにあまり潔さを感じないことがあったのかもしれない。徐々に、「金持ちから取って、貧しいものに分け与える」という事を行うようになった。そのころから次郎吉と名乗りだしたのである。盗むときに本なども盗み、時間がある時は本を読むようにしていた。そのことが、自分の泥棒の芸術性や社会性を養うと思っていたのである。
「そういえば、最近泥棒をしていないような気がする」
次郎吉の頭の中に、ふとそのようなことがよぎった。
「俺は何をやっていたんだ」
泥棒は次郎吉にとって天職であったと思う。しかし、その天職を最近行っていない。その上、柔らかいベッドの上で、自堕落な寝起きを迎えているのである。
「何やってんだ。起きろ次郎吉」
やっと取り上げた受話器の中から、そんな声が聞こえた。
「どうした」
「ゾンビだ」
「ゾンビ?」
次郎吉は、慌てて飛び起きた。そうだ、泥棒をやっていないのではなく、泥棒の能力を生かして街のゾンビを一掃するという事をしていたのである。盗むことで、街を救う。今まで他人様物品を盗んで、社会性や芸術性などということはあり得ないと、心のどこかで思っていたところがある。しかし、今回は違うのである。まさに、社会全体から隠されたものを盗み、その内容で、社会を救うのである。
「ちょっとこっちに来てくれ」
時田の言葉で、布団から跳ね起き、そして簡単に身支度を整えると、そのまま応接間に向かった。実際に、地下であるこの鼠の国に、朝であるかどうかは全くわからない。彼らにとって寝て起きたときが朝で、寝るときが夜なのである。
「解読ができた」
「解読」
「ああ、お前の持ってきた書類やアンプルで、様々な事がわかった。」
時田は、渋い声で言った。
「おお、お手柄だぞ。次郎吉」
善之助が、時分の事のように喜んでいる。その横の小林の婆様とその隣に座る小林の息子も。そもそもはこの家の中に長々と忍び込み、宝石などもいただいている関係であるが、しかし、なぜか喜んでいる。
「それにしても、戦中の東山という将軍は、恐ろしく頭の良い人間であったようだ」
「頭がよい。それはどういうことですか」
確かに東山という今から70年以上前の旧大日本帝国陸軍の将校に振り回されている。しかし、次郎吉にとっては単純に東山が頭がよいというだけではなく、時代の違いなどもあったのではないかと異様な気がするのである。
「終戦間近、戦争を継続しながらも敗色濃厚であった日本の多くの意見は、アメリカなどに負けるくらいならば『一億総特攻』で一人残らず日本で死のうと考えていた。しかし、どうもこの東山という将軍は違ったようだ。この男は、残された日本人で本気でアメリカ軍を撃退するつもりであったらしい。まあ、勝つということは無理であっても、少なくとも、記憶に残るということを考えていたに違いない」
「記憶に」
「当時、日本人が記憶に残るといえば、当然にアメリカ軍を一人でも多く殺し、、そして恐怖に陥れるということであった。現在のイスラム原理主義者のテロと同じだ。アメリカ軍は、自分の陣営に攻め込まれることを極端に嫌う民族であるから、この町に来た軍隊が全滅したということになれば、必ず記憶に残るに違いない。まずは文書の中にそのようなことが書いてあった」
時田はそういった。目が見えない善之助はきいているだけであったが、同じ内容を解析班が送ってきた画像を見ている小林親子は、深くうなずいている。
「そこで、次郎吉が言った地下壕に、アメリカ軍を引き入れ、また、アメリカ軍が陣を置くであろう場所に予め大量の寄生虫を撒く準備をしておき、アメリカ軍が来たら、そこに寄生虫、つまりピンクのガスを撒く」
「しかし、時田さん。どうやってアメリカ軍が陣を貼るところをわかるのですか」
「アメリカ軍は海からやってくるから、当然に街道沿いと川をさかのぼってくるに違いないと踏んでいる。そこで、八幡山などから大砲を討ちかけ、その上で、予めどこが狙われているかをアメリカ軍に知らせておけば、自然と数か所しか候補が無くなるというものだ。特に地下壕を巡らせておけば、当時のB29の爆撃であってもあまり意味がない。そこで、陸上部隊がくるとすれば二か所、戦車などの車両舞台と歩兵部隊というように考えたようだ」
ものすごい計算である。しかし、今回のゾンビは、農薬工場で、朝日山に隠してあった爆弾を爆発させただけだ。ということは、アメリカ軍用の大型の寄生虫はまだこの町のどこかに残っているということではないか。
「今、次郎吉が考えているとおり、この町のどこかにまだガスが仕掛けられているということを意味する。まあ、その上で、その上であの地下壕にアメリカ軍を誘い込み、そして、全てゾンビにしてしまうということが書いてあった。東山将軍以下は、地下壕を通り、朝日山の御殿平、つまり、兵器などを隠してある場所に籠って、そこでその隠してあるガスを噴霧。アメリカ軍が寄生虫が蔓延し、混乱しているところで、緑のガスを流し敵を全滅させる。その後、アメリカ軍の持ち込んだ資材や武器弾薬を鹵獲して、防御を固めるという。それが4回繰り返すことができると書いてある。」
時田は、ここで話を切った。
「四回」
「そうだ」
そこにいた人々は沈黙した。
「四回分もどこに隠すんでしょうかね」
サブローは、横から口をはさんだ。
「多分、あの地下壕の中に、その後の方大也砦の一が書かれている地図があるだろう。東山はわざわざそこを書いて、アメリカ軍に見せたうえで、例えば八幡山などを攻めるのに適した場所に前もって置いてあったはずだ。」
「なるほど」
しばらく沈黙が続いた。
「時田さん、ということは郷田や正木は」
「いや、この暗号文をここに持っているということは、当然に、郷田はそれを知らないということになる。つまり、何らかの別な読み方をしたか、あるいは、まだ解っていないかだ。しかし、どこかに拠点を置いて、朝日山を目指していることは確かであろう」
「では」
「行かなきゃならないな」
「でも、その前に、この地下を何とかしないと」
サブローはそういうと、地下の鼠の国の入り口のカメラに切り替えた。そこには、厳重にしていたはずのバリケードが大量のゾンビに破られそうな状態になっていたのである。
「そうだな。まずは鼠の国を守って、そのあと朝日山で郷田と勝負だな。サブロー、皆を集めてくれ」
「はい」
「次郎吉もいいだろ」
次郎吉は頷いた。
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