「日曜小説」 マンホールの中で 4 第三章 3
「日曜小説」 マンホールの中で 4
第三章 3
「あれはなんだ」
時田の事務所に集まった面々は、その部下が持ってきたカメラの映像を見ながら唸った。次郎吉と五右衛門の仕掛けたカメラは、彼らが戻ってきてからバス会社の中で起きたことの一部始終を映していた。もともと、会議室の中で開いた書面を読むためのカメラであるから、細かい文字も読めるような感度に設定してある。その書面の内容は、次郎吉の活躍によってそのすべてのページが写真に納まって送られてきているが、その後の事務所の様子を監視する意味でも、そのカメラはずっと動いていたのである。
その中には、まだ睡眠薬が効いているはずの郷田が、カバンの中から取り出した筒を投げたという会話があり、そして、そのまま郷田が歩いて会議室に入ってくる会話が記録されていた。カメラの角度の問題で、緑色の煙そのものはカメラの中には見えていない。しかし、郷田の余裕の表情だけは見えている。
「いや、それにしても時田さんのところのカメラとマイクの感度はいいですねえ」
善之助は、全く関係のないことを言ってそこにいる人をリラックスさせた。緊迫した状況であったも善之助の言葉は、なかなか面白いし、地下の鼠の国にいる人々の心の中には、なかなか面白く映ったのである。
「善之助さんはカメラの画像は見えないでしょ」
小林の婆さんがいきなり言った。
「ああ、見えないよ。それでも、皆さんがそれだけため息をつきながら真剣に見ているということは、それだけよく写っていて見えるからでしょう。音声は私にも聞こえますし」
善之助の言うとおりである。音声や映像が鮮明だからこそ、それを見るということになるのだ。
「私のように音声しか聞こえない者には、その言葉の中で様々な内容を想像するしかない。目で見ている人よりも目がない人の方が見えていることがある。その中で見えるのは、寄生虫を殺す薬という言葉じゃ。頭の中の寄生虫といえども生き物であることは間違いがないし、また、何らかの形で人間の体から、栄養を取ったり酸素をとって動いているに違いない。ということは、奴らに毒を仕掛ければ、当然に奴らは絶滅し、そしてゾンビがなくなるということになる」
「善之助さん、そういうことですね」
時田は、頷いた。
「時田さん、では、我々はその薬を作れ場良いのでは」
横で聞いていた斎藤が声を上げた。
「斎藤さん、成分がわかれば作ります」
「なら、次郎吉さんの持ってきた書面の中に書いてあるのでは」
「それが書いてないんだ」
時田はため息交じりに行った。
「斎藤さん、そりゃそうだろう。」
善之助は言った。小林の婆さんもその横で大きく頷いている。
「どうして」
「この寄生虫を兵器に使うことを考えたのは戦争中、それもアメリカ軍が日本に上陸し、一億総特攻というようなことを日本中が気が狂ったように言っていた時代だ。つまり、彼らのように、それを最前線で防ぐ人間は、とても生き残るなんてことは考えていなかったはずだ。」
「いや、戦いなんだから勝つのが前提でしょう」
「勝つのが前提ならば、特攻なんていうわけないだろう」
確かに「特攻」という言葉は、命を立てにして国を守るというような意味合いが含まれる。特別攻撃、それは人間の体を究極の兵器として使うことを意味しているのであり、究極の自己犠牲という意味が存在する。当時は天皇陛下万歳といいながら死んでいったというように言われているが、しかし、その天皇陛下という言葉の中には、自分の家族や子孫たちの幸せな生活ということが想起されていることは間違いがない。その時に個人の名前ではなく、総体としての「天皇陛下」という言葉であったことは想像に難くない。
斎藤も戸田も、善之助にそのことを言われて、改めてその戦争の悲惨な状況を思った。確かに現代の考え方では理解できない状況があるに違いない。
「斎藤さん、戸田さん、郷田の持っていた文章を解析したところ、あのピンクのガスは、二か所で使うということになっているんです。」
「二か所」
「そう、一つは敵、つまり上陸してきたアメリカ軍の陣地。しかし、それだけではアメリカは感染した兵を隔離して終わってしまう可能性がある。そこで、日本軍の最前線にあのガスを使い、そしてアメリカ軍に撃たれながらもゾンビとなって攻撃するということが書かれているんですよ」
「要するに、身内にそれを使い、敵に感染させるということでしょうか」
「不死身になって、打たれても前に進み、アメリカ軍を駆逐するということを目指す。単純にアメリカ軍を全滅させるだけではなく、アメリカ軍に恐怖を与えて撤退させる、という戦略を採用していたようです。」
そこにいる人は黙った。つまり、郷田の持っている寄生虫を殺す薬というのは、非常用なのである。つまり、大量生産をしてやめてあるということではない。もともと、女子供は避難させており、そこに寄生虫が入らないようにしていた。兵士というか、戦えるものはみな死ぬつもりであったのだから、その避難先にさえ寄生虫が入らなければよい。その避難先の人々のところに入った場合に、一瞬で寄生虫を殺せればよいのである。
そして、その寄生虫は「食べるものが無くなったら、自滅する」ということになる。つまり、この日本の上で、避難している人々以外の生き物がいなくなり、自滅したのちに出てゆけば、アメリカ軍もいなくなっているということになる。少し残党がいたとしても、それは兵器で普通に戦えばよいのである。
逆に言えば、現在このように寄生虫が出てきてしまい、そして多くの人がゾンビになってしまった場合、それを防ぐ手段はないということになる。
「絶望的ということですか」
「いや、今解析中です」
サブローが、口ひげをいじりながらそういった。
「解析中」
「はい、あのバス会社のビデオの中で、郷田は『暫くしてゾンビがいなくなったらここを出て場所を移すぞ』といっていました。つまり、ゾンビから自分たちを守ることができて、なおかつ、寄生虫が来ない場所があるということになります。そこに、最終手段の何かが隠されているのではないか。そしてその隠されているものは何かということを解析しています」
サブローはそういった。
「それならば、奴らを付けなければならないな」
次郎吉は立ち上がった。
「どうする気だ。次郎吉」
善之助は、すぐに声をかけた。次郎吉と善之助の絆は、あのマンホールの中で動いているときからかなり深くなっているようである。善之助は、その立ち上がる音だけで、次郎吉であるということがすぐわかるまでになっていたのである。
「いや、あいつらがどこに行くかあとを付けなきゃならないだろ」
「次郎吉さん。それならばすでに五右衛門さんとスネークさんに依頼してあります」
三郎は、相変わらずにやけた顔で、口ひげをいじりながら、至極当たり前であるかのようなことで言った。
「そ、そうですか」
「では、その先がわかってからの次の手を考えよう」
「ところで、その文書には、本当に何も書いていなかったのかな。」
善之助は言った。
「どういうことですか」
「あの文書の中に、寄生虫を殺す薬のことが書いていなかった。つまり、昭和の当時の人は、あの文書がアメリカ軍の手に渡るということを想定していたことになる。」
「そうなりますね」
「ということは、あの文書自体が、暗号で書かれているということになる。当然に暗号になっているのであろうが、アメリカ軍が手にして、解析しても暗号であるということがばれないようにしなければならない。つまり、あの文書そのものは、普通に読んでも意味が通じ、アメリカ軍を安心させるというようなことになっており、それを特殊な読み方をすれば、別な文章になるというような、凝った作りになっているはずだ。つまり、あの文書を暗号として読むためのもう一つの道具があるということになる」
「しかし、善之助さん。郷田のカバンの中にも部屋の中にも、何もなかったですよ」
「ということは道具を使ったというものではないということだ。」
「道具ではない」
「要するに、例えば二つ飛ばしで読むと文章が成立するとか、あの文書そのものを読み方を変えるということだな」
善之助は言った。
「どうしてそう思うんです」
時田は言った。
「それは・・・」
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