「日曜小説」 マンホールの中で 4 第二章 12
「日曜小説」 マンホールの中で 4
第二章 12
ほどなくして、表が騒がしくなった。もちろん時田が来たのである。
「何だ」
事務所の奥から郷田が出てきた。バス会社の最上階の会議室からは、まだ周辺の建物の影響で何かが近寄ってくる音だけは聞こえるものの、何が迫ってきているかわからない。何人かの男たちが銃を手に階段から降りてゆき、そして何人かが、隠れた位置からライフルを構えた。
郷田は、何事もなかったように椅子に座ると、近くに来た女性たちを奥の部屋に下げた。微かに膝が震えているように見えるのは、見た人の錯覚なのであろうか。近くに、皮のカバンが大事そうにおいてあるが、この中に何が入っているのかは誰も知らない。
その郷田に代わり、正木が郷田の横に立って目を光らせていた。
「おい、和人、窓行って見てこい」
「へい」
怯えたような眼をした和人が、郷田の近くからやっと離れて、窓際に入った。和人は、幸三の死とそのあとの郷田や正木の対応から、すっかりとこの場にいること自体が怖くなってしまっていた。普段は明るく何か冗句をいうような若者であったのに、いつの間にか何も話さず、常に怯えた目で他の人を見上げるようにし、俯いているしかない状態であった。ある意味で鬱というのはこういうものであるのかもしれないし、また、この郷田や正木を全く信用できない状態なのもわかった。
しかし、どこに逃げるというのだ。
外に行けば、幸三や幸宏などの仲間を殺したあのゾンビたちがいる。今でも幸三の死んだ、いや奴らに食べられた時の光景と、そして幸三の最後の助けを求める叫びは和人の脳裏から全く離れなかった。忘れたくても、眠ればその夢を見てうなされて起きてしまうし、トイレに行けば後ろからゾンビが迫ってくるような錯覚に襲われていた。その状態で、どんなに郷田が怖いと思っても、この建物の外に出ることはできなかった。いや、このバス会社の敷地から出ることは、そのままゾンビに襲われて死ぬことを意味していたのである。
「あ、ああああ」
郷田から離れられると思って、正木に言われて窓ガラスの所に行った和人は、叫び声をあげた。
「どうした」
「ぞ、ゾンビが」
「なに」
正木は、自ら窓際に行った。郷田は全く動かなかった。
バス会社の前は、バスが展開できるように少し広くなっていて、そこから道が広がっていた。その道の向こう側の曲がり角のあたりから、なにか人の大群が来ている。
「普通の人ではないのか。よく確かめろ。」
郷田が椅子に座ったまま声をかけた。正木は、近くにある双眼鏡を覗き込み、焦点を合わせた。そのレンズ越しには、映画のゾンビとは全く異なる、普通に多くの人が無秩序にこちらに向かって歩いて来る姿が見えた。その歩いている「人」の表情は、話すでもなく、また、表情もなく、ただ歩いてきていた。中には、横の家や建物に入る物もいるが、多くはこちらに向かってきていた。
「どうしますか」
「銃を構えろ」
タンスなどの陰から狙っている男がライフルのスコープを覗いた。しかし、すぐに銃をひっこめた。
「どうした」
「ポリ公がいます」
郷田が少し眉を顰め目を曇らせた。その視線の先には赤色灯の光が見えた。
「始まったらしいな」
五右衛門はすぐに行動を起こした。事務所棟の中に入り込むと、会議室の屋根裏や、その奥の「社長室」といわれる部屋の屋根裏に、通気口から侵入し、そのうえで、その通風孔の中に角度良く、それも手際よくカメラを仕掛けた。まさに007の映画のスパイのように、そのことが本職であるかのような手際の良さである。
一方の次郎吉は、裏山の木からロープを渡し、住居棟に忍び込んだ。そして、郷田の部屋と思われるところにカメラを仕掛け、また、その部屋の天井裏に潜んだ。中に入ってきても対抗できないように、銃の中からすべての弾を抜いておいた。
それだけでなく、ここは一人になる空間であることから、コップなどに睡眠薬も仕掛けたのである。もちろん水の中に入れれば捨てられてしまうので、睡眠薬を仕込ませた脱脂綿でコップの口を付けるところに塗ったのである。
「郷田さん、銃はまずいんじゃないですか」
「ああ、あのゾンビも何かの演技で囮かも知れねえ」
郷田と正木はそういうと、会議室のライフル銃以外は全て銃を隠すように指示するしかなかった。そうしなければ、囮で捕まえに来る可能性もあるのだ。
「和人、裏口と表回って戸締りを確認してこい。ポリ公もゾンビも簡単に入れないようにするんだ」
「はい」
和人は、そういうと部屋を出て行った。
「おい、正木、俺は少し部屋の戻っておくぞ」
「へい」
郷田はそういうと、和人を呼び止め、一緒に階段を下りて行った。
「サイレン鳴らせ」
時田は、五右衛門が送ってきたカメラ動画を見ながら指示した。郷田が会議室を出て行ったのである。つまり、会議室の中に様々な指示を出しているということだ。サイレンが鳴れば、ゾンビの集団を警察の囮に間違えるに違いない、つまり、そのようなゾンビのコントロール方法があるのか、それを確認しに行くに違いないのである。後は、そのような郷田に落ち着いて書面を見る余裕を与えさせない、つまり、サイレンを鳴らして陽動作戦をとるのである。
「了解」
ランボーはそういうと、サイレンのスイッチを押した。
「正木さん、サイレンが鳴り始めました」
「やはりポリ公だったか」
しかし、サイレンを鳴らしても、スピードを出してこない。また肉声もない。サイレンが、何か設定ででてきているのか、あるいは、警察が操作しているのかわからない。もしも警察が操作してサイレンを鳴らしていたとしても、それがこのバス会社の中に郷田や正木がいて鳴らしているのかもわからない。何しろ、郷田たちがいるということをわかっているのであれば、過去に爆発事件や銃撃戦をしているのだから、ここでも銃撃戦になることがわかっているはずだ。それなのに、いつものジェラルミンの盾もないのである。このままでは囮のゾンビは死んでしまうではないか。
「じゃあ、ポリ公はゾンビをコントロールしているということですか」
「いや、わからない。いずれにせよ、郷田さんが帰ってくるまで、ここで待機」
「へい」
正木は、無線機を使って外に出ている男たちにも同じように指示した。
「郷田さん。俺怖いんです」
和人はそういうと、郷田を恨むような表情で見た。
「何がだ」
「幸三も、幸宏も隆二も、ああなるって郷田さん知ってたんですよね」
「ああ、ピンクのガスを吸えばな」
「俺もなっていたかもしれない」
「まあ、そうだな」
「それは俺がゾンビになってもよかったということですか」
郷田は、にやりと笑って何も言わなかった。
「郷田さん」
「うるせえ」
郷田は、いきなり和人を殴った。
「そんなこと言っていると、本当にこの場で殺すぞ」
郷田は、内ポケットから銃を出して、和人の胸ぐらをつかむと、こめかみに銃口を押し付けた。今度は和人が黙る順番であった。
「まあ、今殺す必要もないか。早く裏口見てこい」
そういうと、郷田はそのまま階段を下りて住居棟の方に出て行った。
「まったく、あいつなんなんだ」
部屋に入った郷田は、お茶をコップの中に入れると、そのまま一気に飲み干した。
「よし」
次郎吉は、天井裏に忍び込んだまま、それでもすぐには動かなかった。睡眠薬が効くまでには時間がかかる。この部屋にまでサイレンが聞こえるのであるから、事務所棟の方は大慌てに違いない。その間に、東山将軍の書類、ゾンビを制御する方法を見るはずなのである。
案の定、郷田はいつも大事に持っている皮のカバンの中から、古い書類を出すとそのまま見始めた。しかし、ソファーに腰掛けて寝てしまっている間に、目を何度かこすり、そのまま寝てしまった。
次郎吉は、天井裏から降りると、そのままその書類を手から取り、そのまま全てのページを写真に収めた。特に、ピンクのガス兵器のページは、全て細かく読んで、そしてそのまま写真に撮ったのである。
そのうえで、その書類をわざと床に落とし、そして、濃い珈琲をかけた。読みつらさせるためである。こうすれば、もう一度事務所棟に持ってゆくに違いない。自分が寝てしまったために、コーヒーを落としたということになるであろう。コップの睡眠薬をきれいにふき取ると、そのまま天井裏に再度戻ったのである。
一方、スネークは影の茂みに隠れていると、そこに和人が来た。
「ちょっと遊ぶか」
スネークはそういうと、和人の後ろから付いて行き、そしてそのまま電気設備をすべて落としてしまった。電源が無くなった建物は、全ての電気やカメラが止まった。そのうえで、和人を締め落とすと、そのまま和人の持った緊急無線の緊急ボタンを押した。そしてそのまま壊した扉から出て行ったのである。
「うまくいったな」
「ああ」
裏山に集まった次郎吉たちは、スネークがそこから信号弾を打ち上げると、撤収した。
「よし、我々も撤収だ」
時田はそういうと、アクセルを踏んでゾンビをひき殺しながらバス会社の前を通過したランボーやマサもバスを運転しながら抜けると、そのままゾンビがついてこれないようにバスから罠を落とした。これでゾンビはバス会社にしか向かうことができなくなったのである。
「うまくいったな」
時田は笑いながらその現場を離れた。
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