「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】禁門の変と天狗党という二つの大きな「攘夷」の転換点を平岡円四郎の死と結び付けて描いた見事さ

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】禁門の変と天狗党という二つの大きな「攘夷」の転換点を平岡円四郎の死と結び付けて描いた見事さ


 大河ドラマ「青天を衝け」について、少し書いている。幕末というのは、様々な思想家や志士が自分の信念について動いている。その群像がなかなか面白い。この時代は「善と悪」というような感覚で物事が出てきているのではなく、幕府も尊皇も攘夷も佐幕も、すべて「正解」であり、すべて日本国のことを考えて行っていたということになる。単純に言えば、「売国奴」というのがいないということになる。まあ、様々な説があるので、その説によっては、あの人とか、あの幕末の志士は商業のために国を討っていたような者もいたり戦争を誘発しようとしていた人もいる。まあ、そのようなことは、歴史のベールの中に入ってしまっているので、様々な説が出てくることになるのではないか。

 さて、幕末が面白いのは「全員が正義」であるが、その正義をどのように考えてゆくのかということになってくるのである。「青天を衝け」でも、その正義の違いは様々に見えてくる。ドラマにしてしまうとすべて「勧善懲悪」のような感じになってしまうのであるが、残念ながらそのような話ではない。「正義」と「正義」であるから双方が引けなくなり戦争になるのである。戦争まではいかなくても暗殺になる。現実的な話をして攘夷をあきらめさせ、新しい日本を探求した平岡円四郎も正しいし、水戸斉昭の訓示を受け、その志を実現するために、全力を尽くした忠義の死の水戸藩士も正義だ。お互いが正義であるから、自分の正義のために、相手を殺さなければならない。

 今回もその正義があるから、天狗党は挙兵して攘夷を求めることになるし、幕府は秩序を重んじるのでそのような挙兵に対して鎮圧にかかる。もちろん勧善懲悪の方がわかりやすいのであるが、そうではなく「正義」とは何か、ということがしっかりと学べるのではないか。戦争はだめなことなのかもしれないが、しかし、悪人が戦争をするのではなく、正義と正義がぶつかるから戦争になる。そのことをしっかりとドラマで学んでほしい。

青天を衝け:第17回「篤太夫、涙の帰京」 禁門の変の激闘! 慶喜の嘆き、篤太夫の誓い

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第17回「篤太夫、涙の帰京」が6月6日に放送される。予告編には「激闘 禁門の変」「愛する人を信じて」「慶喜の嘆き」「篤太夫の誓い」といった文字が躍り、山崎育三郎さん演じる、長州藩士・伊藤俊輔(博文)の姿も映し出されている。

 円四郎(堤真一さん)の命が奪われたことを江戸で知り、衝撃を受ける篤太夫(吉沢 さん)と成一郎(高良健吾さん)。その時、京では慶喜(草なぎ剛さん)が自ら指揮を執り、御所に迫る長州藩兵と戦っていた。そこに、西郷吉之助(博多華丸さん)が薩摩藩兵を率いて加勢する。

 集めた兵を引き連れて京に向かう篤太夫たち。その道中、岡部の代官・利根(酒向芳さん)が現れる。さらに、水戸では、耕雲斎(津田寛治さん)と、小四郎(藤原季節さん)が率いる天狗党(てんぐ)党が、慶喜を頼って京を目指していた。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

2021年06月06日 

https://mantan-web.jp/article/20210606dog00m200003000c.html

正義というのは厄介なもので、今回は「禁門の変」を行った。当然に長州の攘夷は、かなり急進的であり、その攘夷をいかに考えるのかということが大きな問題になる。今回伊藤博文と井上馨の二人が「攘夷はあきらめさせるが時間がかかる」と冒頭に言っていたのは、まさにその内容であるし、また途中で徳川慶喜が渋沢栄一に「尊王攘夷は呪いの言葉になってしまった」という言葉も、まさにそのような感じではないか。

攘夷というのは、ある意味で幕府の主な政策であり、そもそもは「征夷大将軍」なのであるから将軍の主な役目である。しかし、その役目において、「攘夷」が現実的ではないということは、徐々にわかってきている。現代の世の中でもあるが「あるべき論」それも「現実から乖離した原理主義的な考え方」は、身内に対してかなり強く出るが、結局全体の俯瞰的な戦略がなく精神論に陥りがちである。日本というのは、その精神論に陥ると、先鋭的な考え方になるが、一方で内部が硬直化しておかしな方向になってしまうものである。

まさに「水戸斉昭が提唱し、藤田東湖が論理化した攘夷論」はそのようにして、その水戸斉昭の息子徳川慶喜によって現実論に引き戻された、しかし、その「あるべき論」が、桜田門外の変を起こし、坂下門外の変を起こし、そして平岡円四郎を殺し、その後も佐久間象山などを暗殺する結果になる。一方で、正当に武力で正面方訴えれば、当然に禁門の変や短愚答の乱のようになる。当然に本人たちは自分たちの意見が国内の主流派であると思っていたに違いない。しかし、「攘夷という理念」よりも「秩序」を重んじる人が多く、彼らの目論見は崩れる。これと同じことは、鳥羽伏見の戦い以降の戊申戦役における佐幕派奥羽越列藩同盟の戦いも同じではなかったか。

もう一度言うが、双方が「正義」であり、どちらも間違っていないのである。しかし、そのどちらも間違っていないだけに、悲しい結末になることが少なくないのではないか。天狗党における武田耕雲斎や藤田小四郎も、また、禁門の変における久坂玄瑞も、その前に暗殺された平岡円四郎も、戊辰戦争で犠牲になった会津や新選組も、多くの人が「自分の信じる正義」に殉じていたのではないか。

一方、その人々にも、あまり書かれることはないkが家族がいる。今回のドラマでの平岡円四郎と妻のやすの関係なども、非常に素晴らしいし、渋沢栄一と千代の関係も、またその家族たちも、みなその平岡円四郎や渋沢栄一の「信じる正義」(ドラマでは道といっているが)を信じていた。そのこともしっかりと書かれている。家族の愛に支えられているから新年や正義に命をささげられるのであり、一方、その家族を守るために正義を尽くさなければならない。それが、この時代の人であり日本人の最も正しい姿なのではないか。

同じような遺伝子が、今を生きる我々にも息づいている。そう信じたいと思えるドラマではないか。

宇田川源流

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