「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 東日本大震災の10年目の週に安政大地震をぶつけ藤田東湖の死を描く大河ドラマの英断
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 東日本大震災の10年目の週に安政大地震をぶつけ藤田東湖の死を描く大河ドラマの英断
水曜日は大河ドラマについて書いている。実際に、民放各局が「金がかかる」ということからあまり時代劇をやらなくなってしまったので、その意味ではNHKの大河ドラマは貴重な存在であるということができる。実際に「歴史として学ぶ」というのはなく「ドラマとして楽しみながらその時代背景やその時代の風俗、現代の時代の風刺を行う」ということは、学ぶこと以上に価値があるし伝播する力も大きい。そのいみでは、大河ドラマの果たす役割あは大きいのではないかと思う。
さて、今回はそのような意味で「青天を衝け」の中で描写されたのは、二つ。一つは「狐憑き」である。渋沢栄一の姉が婚約した相手が狐憑きの家であり、そのために破談になったというものである。今までの大河ドラマでは、そのようなことで1回を使うことはなかったが、今回は、渋沢栄一の中でも、「狐憑き」もっと言えば「霊的な迷信」に対する渋沢栄一の態度ということがなかなか面白い。「迷信」に対して「事実実証主義」出た移行するというような感覚は、現代でも霊能者などが適当なことを言ったときに矛盾点を衝くということにつながるのであるが、一方でその内容に関して当時の人々の反応がさまざまであるのもまた興味深い。いずれにせよ、そのような「考え方」が、後に起業家となる渋沢栄一において様々な形になってくる伏線となることは見えてきているのではないか。
このような伏線が見えてくれば、様々な先が見えてくるはずである。戦などがないのでなかなか面白みがないというような感覚が少なくないのかもしれないが、しかし、一方でドラマとしては落ち着いてみることができるのではないか。まあ、そのようなドラマを大河でやる必要がないというような声はあるものの、一方で「どのような人の人生もドラマである」という考え方からすれば、それはそれでアリではないかという気がするのである。創作物の恋愛ドラマより、ある意味「歴史上の人物の生きざま」をしっかりとみとどけるということはそれなりに意味のあることではないか。
「青天を衝け」徳川斉昭の側近・藤田東湖の死にネット悲しみ「ああ、東湖様」「天災はいつの時代も辛い」
NHK大河ドラマ「青天を衝け」(日曜後8・00)の第5話「栄一、揺れる」が14日に放送された。徳川斉昭(竹中直人)の側近・藤田東湖(渡辺いっけい)が安政江戸地震で亡くなり、ネット上で悲しみが広がった。
黒船の来航により江戸で多くの疫病が流行。様々な迷信が流行るなど混乱を極めた。そんな状況の中、幕府がメリケン(米国)と日米和親条約、エゲレス(イギリス)と日英和親条約を結び、今度はオロシア(ロシア)と和親条約を結ぼうとしていることに攘夷論を唱えている斉昭は激怒。老中・阿部正弘(大谷亮平)と口論となった。
そこに下田から急報。地震が発生し、下田沖にいたオロシアの船が大津波により転覆したという。これに斉昭は「快なり!下田に神風が吹いたのだ」と歓喜。暴走する斉昭に東湖は「誰しも、かけがえのなきものを天災で失うは耐えがたきこと」などと説いたが、聞く耳を持たれなかった。
そして1855年、安政江戸地震が水戸藩邸を襲った。斉昭、徳川慶喜(草なぎ剛)らは無事だったが、東湖の姿が見当たらない。斉昭は「東湖、東湖」と叫びながら探し始めた。すると東湖の息子・藤田小四郎(藤原季節)が「父上、父上」と叫ぶ声が聞こえた。そこには東湖が血だらけで倒れており、斉昭は「東湖、東湖」と呼び掛けるも反応はなかった。そこで斉昭は東湖に言われた言葉を思い知らされた。「わしはかけがえのなき友を亡くしてしまった」と抱き寄せながら泣き崩れた。
第5話と早すぎる東湖の死にネット上では「退場はやすぎる」「ああ、東湖様」「ハッピーエンドかとおもったらズドンっと落として来やがった…」「うそ、東湖さん…」「藤田東湖…この大震災で亡くなれたのか…」「天災はいつの時代も辛いものだわ…」「いっけいさん、早すぎる退場……。」と悲しみが広がった。
3/14(日) スポニチアネックス
https://news.yahoo.co.jp/articles/531ffec0c39269191dd768de8d88b84385673d68
もう一つ、今回のポイントは「安政大地震」である。安政大地震は私も「暁の風 水戸天狗党始末記」「備中松山藩幕末秘話 山田方谷伝」双方でか扱っている。現在の東京の隅田川河口当たりを震源とする、現在で言えばマグニチュード7程度の直下型地震であり、死者は一万人を超えるとされている。その小雨であったことから延焼は少なかったものの、その内容は幕末の政治に様々な影響を与えた。
特に大きく影響があったのが、水戸藩の藤田東湖、戸田蓬軒の死であるといわれる。水戸斉昭の副審とも言え、なおかつ、幕末の尊皇攘夷派の理論家の中心的な人物である藤田東湖の死はその後の水戸藩の混乱を起こすことになる。その混乱は、水戸藩が幕府と対立するようになり井伊直弼が安政の大獄を行い水戸斉昭を排除するということになり、水戸藩浪士による桜田門外の変につながってゆく。橋本佐内や吉田松陰という逸材が獄死し、また水戸藩も一枚岩であったはずがいつの間にか内部の争いが起きて、上記の記事にも出てきている藤田小四郎が武田耕雲斎とともに天狗党の乱を起こし、また、そのご徴収なども混乱し八月十八日の政変に伴い七卿落ち、そしてその劣勢を跳ね返すための、禁門の変とつながるのである。
一方幕府は将軍家茂と皇女和宮の降嫁があり、孝明天皇との間において蜜月の時代を過ごすが、家茂の死、そして孝明天皇の死という府樽の死によって慶喜・明治天皇時代になって対立が深まってゆくということになるのであろう。
もちろんその中で渋沢栄一は、最後の将軍である徳川慶喜に仕えることになり、その慶喜にしたがって水戸に蟄居させられることになる。
このように歴史の先を知っていると、なんとなく先が見えてくるが「ああここで藤田東湖が死ぬのか」そして「このような描写になるのか」など、面白い感想が出てくるものである。ちなみに、史実では藤田東湖は、水戸藩藩邸で一度非難するが、灯を消し忘れたといってもう一度中に入ってゆく母を助けるために再度家の中に入り、余震によって水戸藩藩邸の梁に押しつぶされる圧死となるのである。その時に水戸斉昭がどのようにふるまったのか、小四郎は何をしていたのかなど、様々なところがあるが、なかなか興味深い描写であったような気がする。ちなみに安政地震で吉原も壊滅的な被害をこうむり、廓の中で1200人とも2000人ともいわれる遊女が命を落とすことになるのである。
まさに、そのような歴史の一端がドラマで表現されるのがなかなか面白い。その表現をどのようにするのか、コンゴも楽しみであろう。
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