「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 帰蝶役の川口春奈さんの素晴らしい演技が「本能寺の変」を彩る
「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 帰蝶役の川口春奈さんの素晴らしい演技が「本能寺の変」を彩る
大河ドラマ「麒麟がくる」も次回2月7日の放送で最終回になる。予告編では「我が敵は織田信長と申す」というような言葉になっていたが、なかなか興味深い。前回も書いたが、ドラマもここまでくると、史実とドラマを比べることはあまり懸命ない話ではない。基本的に、ドラマそのものの勢いで、進んでゆくことになる。何か一つの話が「本能寺の変」の内容ではなく、「多くの人が信長から心が離れてしまっており、その信長が徐々に猜疑心が強くなり横暴な態度になり、残虐性を表してきた」というようになってしまい、その中で、多くの人から「明智光秀に頼るしかいない」というような感じになってしまう。
明智光秀(長谷川博己)は、かなり悩み、ある意味ノイローゼ(うつ病)的な状況で毎日夢にうなされえているという感じ、それに対して近衛前久(本郷奏多)は「信長の後は光秀しかいない」というようなことを言う。細川藤孝(真島秀和)などもそれに同意するというような感じになってくる。
ちょうど現在の「社長は孤独」ということと「この会社はおかしいとして、真剣に悩み、多くの人に期待されて会社の方針に逆らう社員」というような、現在の人に訴える「何か身につまされる」ような話になっていたのではないか。そのうえで「正親町天皇(坂東玉三郎)に逆らう(譲位を迫る)」「将軍足利義昭(滝藤賢一)も敵対している」というような内容は織田信長(染谷将太)の「このままでは平和にならない」ということの焦りから出てきているのであろう。「なぜ自分の思いをわかってくれないのか」という信長の心の叫びが聞こえるようであるし、また、その内容ですれ違ってしまった心は意外と元に戻らない。
明智光秀は、当初「幕臣」としていたために、信長にしっかりとモノを言える存在であったという設定。その幕臣であったということから、他の武将とは異なる存在になっており、天皇からも、徳川家康(風間俊介)からも一目置かれる。それがより一層すれ違いを大きくしてしまうということになる。
麒麟がくる:あと7日 “帰蝶”川口春奈が語る「本能寺の変」 光秀の切ない思いに「感情移入せざるを得ない」
俳優の長谷川博己さん主演のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」(総合、日曜午後8時ほか)の第43回「闇に光る樹(き)」が1月31日に放送され、帰蝶(川口春奈さん)と光秀(長谷川さん)の再会が描かれた。また、次週2月7日は最終回(第44回)で、副題は「本能寺の変」に決定。川口さんは、「光秀の切ない思いに感情移入せざるを得ない内容になっていると思います。最終回まで、ぜひご覧いただきたいと思います」と視聴者に呼びかけた。
最終回に向け川口さんは、「『本能寺の変』がいよいよ近づいてきました。『本能寺の変』については、演じるまで『光秀が信長を倒した』ということしか知りませんでしたが、今回の『麒麟がくる』では、そこに至るまでの光秀の葛藤や迷い、そして、いろいろな人の思いを背負い、自分がやらなくてはいけないという責任感などの光秀の計り知れない思いをすごく感じます」とも語っていた。
「麒麟がくる」は59作目の大河ドラマ。1991年放送の「太平記」などで知られる池端俊策さんのオリジナル作。ドラマでは謎めいた明智光秀の前半生にも光を当て、戦国の英傑たちの運命も描く。2月7日の最終回は15分拡大版となる。
2021年01月31日 マンタンウエブ
https://mantan-web.jp/article/20210131dog00m200021000c.html
今回その信長を最も身近で見て「おかしくなった」ということを気が付いているのは、妻の帰蝶(川口春奈)であったという設定。
この帰蝶の心が非常に素晴らしい。いや、川口春奈さんの演技が際立っていたという感じがする。「麒麟がくる」の当初、沢尻エリカさんの「代役」ということで言われており、当初様々なことで心配されていたのであるが、しかし、その演技は様々なところで素晴らしくなったのではないか。今回の川口春奈さんの演技は、威厳に満ちて信長を「好きでありながら殺さなければならない」というか「愛しているからこそ、これ以上おかしくなった信長を見ることができない」という覚悟を感じさせるような演技は素晴らしかった。
斎藤道三(本木雅弘)の娘というような感覚があり、その斎藤道三の判断を聞きに来た明智光秀に対して「毒を盛る」ということを言って涙を流す表情は、なかなか素晴らしかったのではないか。
「『本能寺の変』がいよいよ近づいてきました。『本能寺の変』については、演じるまで『光秀が信長を倒した』ということしか知りませんでしたが、今回の『麒麟がくる』では、そこに至るまでの光秀の葛藤や迷い、そして、いろいろな人の思いを背負い、自分がやらなくてはいけないという責任感などの光秀の計り知れない思いをすごく感じます」<上記より抜粋>
まさにこのような思いが、短い時間の演技の中に様々な思いを込めて演じられていたのではないかというような気がする。幼馴染で同じ斎藤道三と深い縁のある明智光秀に対して「最も信用できる人に処理を任せる」という究極御演技は素晴らしいのではないか。
もう一人この段階で際立ったのは徳川家康であろう。信長の迫力に押されながら、光秀のことをカバーする家康の動きはなかなか素晴らしかったのではないか。淡々としながら、それでかなりの存在感がある。多分、信長が生きていたころの徳川家康はこうであったのであろうということを思う。
人間が何か大きな決断をするときに、周辺から様々な期待が寄せられ、何かその期待を背景に動いてしまう。その時に何か一つにその原因を求めることはできないということになる。まさにそのような人間の心理がしっかりと描かれているのではないか。
最終回が楽しみである。
0コメント