「宇田川源流 日本万歳!」 大ヒット映画「鬼滅の刃」の「聖地巡礼」が行われる竈門神社の参拝者増加現象を考える

「宇田川源流 日本万歳!」 大ヒット映画「鬼滅の刃」の「聖地巡礼」が行われる竈門神社の参拝者増加現象を考える


 月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本の良さ、日本人の習慣や日本人の宗教観など様々な「日本人」を研究し、そしてその日本に生まれ育った我々が誇りを持てるように、改めて考えてみるということになる。

日本というのは、特に日本のマスコミなどであるが、どうしても日本人そのものの「悪いところ」を書いて日本人を批判的に話すをする。そのことによって日本人というのは、なぜか日本国内にして特に日本のマスコミを見ていると、だんだんと自信がなくなってきてしまうものである。しかし、世界的に見て日本ほどすごい国はない。もちろん批判して直さなければならないところもあると思うが、しかし、逆に日本のすばらしさに気づいて日本のことを大好きになる外国人は少なくない。日本人というのは、日本人が毎日やっていたり、無意識に考えたり、あるは「常識」として深く考えずに行うことのすばらしさが、多くあって、その内容に関して深く検証はしない。だいたいの場合「当たり前」として何気なく過ごしているその「当たり前」が本当は素晴らしいのである。

例えば、日本人の多くが幼稚園の時から習慣的にやっている「外から帰ってきたら手を洗う」ということ。この「手を洗う」習慣が根付いているからこそ、今回のコロナウイルスにおいて、日本人の感染者や日本人の重症者の抑制につながっていることは明らかである。日本のように「飲める水がふんだんにある」ということ、そしてその「飲める水で手を洗う」ということのすばらしさを、日本人は認識しているであろうか。

同じように「神々」に関する意識も同じように、世界的には素晴らしい。日本人ほど「宗教」にこだわらない民族は少ない。「神に感謝」しないわけではない。神は一人ではなく自然現象全体に感謝するという考え方が普通になっている。特に「意識して何かを感じている」わけではなく、神をより身近に感じているということが日本人のすばらしさなのではないか。

「鬼滅の刃」の聖地?各地の「竈門神社」で参拝者増

アニメ映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(外崎春雄監督)が、16日の公開初日から3日間で興行収入(興収)46億2311万7450円、動員342万493人を記録した。配給のアニプレックスが19日、発表した。同社によると、3日間の各日の興収、動員は平日、土日のいずれも、日本国内で公開された映画の興行収入と動員の歴代1位の記録だという。わずか3日で興収100億円の大台の半分近くまで稼ぎ、ロケットスタートならぬ“鬼スタート”となった。

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 「鬼滅の刃」ファンの間では、聖地巡礼も盛り上がりを見せている。原作者の漫画家・吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)氏は福岡県出身とされており、九州にある3つの神社が「聖地」として注目され、家族連れで多くの人が訪れている。3つの神社に共通しているのは、主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)と同じ「竈門」という文字があることだ。

 縁結びの神様として人気の福岡県太宰府市にある宝満宮竈門神社は、600年代に大宰府政庁の鬼門封じとして建立されたことや、金剛兵衛という刀鍛冶の墓があることなどから話題となった。昨年11月ごろから参拝者が増え、絵馬に好きなキャラクターを描く人が急増。奉納された絵馬の数は昨年の倍以上だ。

 主人公が「溝口少年」と呼び間違えられるシーンなどから注目を集めたのは同県筑後市にある溝口竈門神社だ。作中で出てくる技に似た彫刻もある。ファンからコスプレ撮影会に利用させて欲しいとの問い合わせもあるという。

 大分県別府市にある八幡竈門神社は、平時の参拝客20人から、鬼滅効果で17~18日の間で約1000人が訪れたという。漫画で主人公が使う技の背景に出てくる龍が、拝殿の天井に描かれている龍と似ているなど、こちらにも関連を思わせる描写が多々ある。

 それぞれ、作品にゆかりのある聖地として確証はないが、3つの神社の担当者とも「神社のことを知っていただけた」と、コロナ禍で観光業が苦しむ中、参拝客が多く訪れる鬼滅効果に感謝した。【佐藤勝亮】

2020年10月20日 10時00分 日刊スポーツ

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12168-10190733/

 16日の公開初日から3日間で興行収入(興収)46億2311万7450円、動員342万493人を記録した「鬼滅の刃」が話題である。残念ながら私自身は見ていないのと漫画も呼んでいないので、周辺からそのストーリーを「聞いた」範囲でしか知らないのであるが、まあ、大正時代くらいの設定で、鬼が出てきてというような感じである(あまりここで深く書くと様々なところから突っ込みがくるので辞めておく)。

さて、聞いている範囲であるがこれほど日本的な物語はないのかもしれない。というよりは「日本」ということをしっかりと意識したところがすごいのかもしれない。まずは「鬼」という価値観である。当然のように「ゴースト」ではなく「鬼」なのである。鬼は、日本においては悪の象徴でありながら、例えば童話「泣いた赤鬼」のように、鬼の中にも心がきれいなものがいて、人間に近しい感覚を持っているものがいる。もっと言えば鬼にも個性がありそして鬼になっての考え方も異なるというような感覚がある。一神教のところのように「悪魔は常に悪」であるというような感覚ではない。その「鬼」の感覚こそ、まさに今回は「鬼が鬼になったストーリー」として語られる。悪役に個性を求めるのは、まさに日本人のすばらしさではないか。

そして、「兄弟愛」「人間愛」などが書かれている。特に「主人公兄妹」の「無償の愛」の形は、多くの人が憧れる(一人っ子の中で共感するということは少ないのかもしれないが、実際に人として憧れるところは少なくないのではないか)というような感覚であり、それが女性陣が「母性」をくすぐられるというような感じになる。

そして、「人」の心をしっかりと描いた手法、そこに、様々な「死」と「生」があり、その内容がどのように考えられるのかということ、そこに様々な個性が絡み合って考えらえる。これを漫画やアニメーションとして楽しみながら見ることができるということが人気の秘密なのであろう。そのような作品を作れるのは、当然い「日本人の死生観」を持った「日本人である繊細さ」を持っているからであろうと思う。

そしてその「死生観の自由さ」つまり「様々な人が様々に自分なりに感じる」ということが「神社」を訪れる人の増加という形になる。ある意味で、日本人の場合は多神教で死生観が大きくあることから「他の人との違い」が認められている。ある意味で、このアニメを見て鬼に対しての共感をもっても構わないわけであり、そのことをとがめる人は少ない。その「死生観に関する多様性」こそが、日本人のすばらしさであり、そして、様々な分野における発展が同時進行的に起きる秘訣であると考えられるのである。

そのような感覚を持っていることが、まさに他の国との違いであり「日本人の自由」なのであるが、それも「当たり前」として過ごされているのである。神社の名前を主人公に使うなど、例えば中東当たりの宗教にしてみれば信じられない蛮行であろうが、それをお行い、その同じ名前の神社が「聖地巡り」として、人気を博しているところが、やはり日本人の死生観の自由なのである。

日本人のすばらしさは、そのような「当たり前」に隠れているのではないか。

宇田川源流

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