「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 今回は本能寺の変の伏線ともいえる回でなかなか見ごたえがあっただけではない「社会風刺」の妙

「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 今回は本能寺の変の伏線ともいえる回でなかなか見ごたえがあっただけではない「社会風刺」の妙


 水曜日は、特に決めているわけではないが、なんとなく大河ドラマに関する内容を書いている。まあ、他に書くこともあまりないので、ちょうどよいかもしれない。まあ、実際にアゼルバイジャンとアルメニアの内戦の話や、アメリカの大統領選挙の話など書くこともないことはないのであるが、まあ、そこまで頑張ってやる必要もあるのかということになるのである。

といいながら、あえて「内戦」(アルメニアとアゼルバイジャンは内戦なのか紛争なのかは、なかなか線を引きにくいのであるが)の話を出したのは、まさに、今回の「麒麟がくる」も、戦争の話である。ストーリは下の記事に書いてある通りであるが、織田信長が岐阜に足利義昭を迎えいれ、これから上洛するというような話である。織田信長や豊臣秀吉を扱う内容であれば、ここで、お市の方の浅井長政への輿入れなどが大きな焦点になるが、この季節の明智光秀については、足利義昭についているのか、織田信長の武将として存在しているのかよくわからないところでしかない。そのように考えれば、この辺のところを細かく行う必要はないという場面であろう。

戦争が関係あるというのも、下の記事にないので、あえてここに書けば、伊呂波太夫(尾野真千子)と明智光秀が、織田信長が足利義昭の上洛をすることに関する朝廷や京都の内容に関して、「戦争っていうのはお金だから」という、あまりにも正しく、そして当たり前の話をしてしまっている。このような正しい認識を、ニュースでは行わずにドラマで行うというのがなかなか面白い。NHKというところの「ドラマ制作部」のバランス感覚が見えてくる感じではないか。

「自分の見える範囲の平和」を熱望する駒(門脇麦)、「武士の世界を再統合することによる恒久的平和」を望む明智光秀(長谷川博己)、「関係する人の立場とバランスを保つことで適度な平和」を望む伊呂波太夫、とこの三つの感覚が合わさって話が進むというのは、現代の日本の「平和」に関する議論に近いものが出てきているのではないか。

「麒麟がくる」陣内孝則“怪演”今井宗久のお茶にネット緊張 毒茶再び?「ビクビク」「斎藤道三のせい」

 俳優の長谷川博己(43)が主演を務めるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(日曜後8・00)は11日、第27話が放送され、俳優の陣内孝則(62)演じる堺の豪商・今井宗久が主人公・明智光秀(長谷川)に茶を点てるシーンがあり「また毒茶?」などと視聴者に緊張が走った。

 大河ドラマ59作目。第29作「太平記」(1991年)を手掛けた名手・池端俊策氏(74)のオリジナル脚本で、智将・明智光秀を大河初の主役に据え、その謎めいた半生にスポットを照らす。物語は1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」だった時代から始まり、それぞれの誕生を丹念に描く。

 第27話は、美濃に入った義昭(滝藤賢一)は盛大な歓迎を受ける。しかし信長(染谷将太)は、戦にまるで興味のない様子の義昭を不安に思う。一方、光秀(長谷川)は上洛にあたり、三好勢の兵力と朝廷側の意向を探るため、京へと向かった。駒(門脇麦)を頼り、事情をよく知る伊呂波太夫(尾野真千子)の元へ。三好は今井宗久(陣内孝則)をはじめとした堺の豪商と強固なつながりがあり、その財力が強さになっているという。宗久の名前を聞いた駒は、かつて丸薬を商売にしないかと持ち掛けてきた商人のことを思い出し、光秀を連れて宗久の元へ向かう…という展開。

 (※以下、ネタバレ有)

 宗久は異国との商いが守られるなら、三好、織田のどちらが勝とうが関係ないという立場。信長が「京の町に火はかけない」「堺は守る」「上洛の時は鎧兜を着けない」の条件をのむなら、三好への金の流れを断つと交渉。光秀は一瞬、駒に目をやり、出された茶を口に入れた。

 第2話「道三の罠(わな)」(1月26日)のラスト。娘・帰蝶(川口春奈)の夫で美濃の若き守護・土岐頼純(矢野聖人)が宿敵・織田信秀(高橋克典)と取引し、自身を裏切った証拠をつかんだ斎藤道三(本木雅弘)は茶に毒を盛り、容赦なく頼純を殺害。インターネット上には、本木がサントリーの緑茶飲料「伊右衛門」のCMに出演していることと結び付ける視聴者が続出。“緑茶毒殺”などと注目された。

 陣内の“怪演”、おどろおどろしいBGMもあり、SNS上には「お茶が出てくるたびに、ビクビクするよね~」「『軍師官兵衛』(2014年)の時に(謀将)宇喜多直家の役をやった陣内さんが今井宗久を演じるの怖すぎるよw」「お茶にビビる麒麟がくる視聴者。圧倒的に美坊主、斎藤道三のせいです!w」「毒入り茶よりも恐ろしい毒を飲み込む十兵衛」などの書き込みが相次いだ。

2020年10月11日 20時45分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-822620/

さて、もう一つ見えてくるのが「商人」という厄介なものである。現在も「軍産複合体」という言葉をなんとなく耳にしたりネット上で目にすることがある。兵器産業や軍事関連商品の貿易業者は、これは戦国時代のに日本にかかわらず、現代の世の中であっても「ある程度の戦争」と「ある程度の自分の商売の富」を望むものである。この「商人」とか「軍産複合体」という人々の「富」を得る行動は、そのまま「兵器を使うこと」であり、また「過去の兵器を使い切って最新兵器を使ってもらう」ことであるということになる。つまり、戦争を起こしてもらうということが最も自分たちの稼ぎになる。もちろん、日本のも歴史上にそのような人は存在するのであるが、まさに今井宗久がその役割であったということになる。

商売人というのは、少なくとも「小説の中」の世界では悪く書かれることが少なくない。人道や倫理、道徳というものよりも「金」に忠実な姿で描かれる。ある意味で契約社会であり、仕方がない部分もあり、また、ある意味で、欲しいものが少なくしかない場合に高い値段を出した方に売ってしまうという、人情よりも収入を得るという商人の性質や、モノの値段の決まり方という当たり前のことが強調して書かれることが少なくない。そのうえで、シェークスピアが「ベニスの商人」を書いたことから、日本においては様々な施しをしている商人であっても「将来の商売のため」などというような書き方になってしまうのである。

さて、今回の内容は、「戦国時代の武器商人」である今井宗久(陣内孝則)と、「攻められないための大きな家を作る」とした織田信長(染谷将太)、そして「目の前の貧困層を救う」ということを考える足利義昭(滝藤賢一)というコントラストがある。そこに平和を目指すためには武士の棟梁、将軍に従うという明智光秀、いずれも、平和を目指すということを考えながらも「平和」の意味が異なるという悲劇的なすれ違いが生じているということになるのである。

今の世の中にも「平和」といっても様々な考え方がある。その「平和」に対する考え型が、立場やその人生に関して全く異なるのではないか。武士は、「力をもって平和をなす」ということを考える。まさに「天下布武」であり、また、将軍でありながら視野の小さい「僧侶であった足利義昭」は「目の前の貧困で倒れる人々を助ける」という平和を求める。いずれも重要なことかもしれないが、しかし、その重要なことの順序が異なると大きな悲劇が生まれる。今回は、その悲劇にはならなかったが、まさに本能寺の変というのは「同じ目標を持ちながら、違う方向性や立場から見ていたことによるすれ違い」がある。じっさいに、今の世の中でも似たような「すれ違い」は少なくない。何も平和とか憲法9条などというものではなくても、会社やプロジェクトでも同じように違うことを考えてすれ違うことがあり、それが決定的に人間関係を壊すことがある。そのような現代の人間関係と合わせて今回の内容を考えれば、なかなか面白いのではないか。

「大河ドラマ」とは「戦国時代などを題材にした現在の風刺」という感覚があるのではないか。

宇田川源流

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